神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

わたしが求める永遠の生命 〜肉体の再生

最近、ずっと考えさせられる言葉に「❶永遠の命」があります。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに❶永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 わたしと父とは一つである。」」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭10:27-30‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/jhn.10.27-30.新共同訳

10:27わたしの羊はわたしの声を聞く.わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う.
10:28わたしは彼らに❶永遠の命を与える.彼らは決して永遠に滅びることはない.まただれもわたしの手から、彼らを奪い去りはしない。
10:29彼らをわたしに与えられたわたしの父は、すべてのものより偉大である.だれも、わたしの父の手から、彼らを奪い去ることはできない。
10:30わたしと父は一である」。ヨハネ伝10:27-30(回復訳)

10章28節 フットノート❶
❶永遠の命(参照、3:15のノート1)は、信者たちの生活のためです。御父が彼の愛の中で、彼の目的にしたがって行なわれた選びの手と(17:23.6:38―39)、御子が彼の恵みによって、御父の目的の成就のために行なわれた救いの手(1:14.6:37)、この両方の手に守る力があり、信者たちを保護します。❶永遠の命は、決して尽きることはなく、御子と御父の手は、決して失敗することはありません。ですから信者は、永遠に堅固であり、決して滅びることはありません。(回復訳)

わたしは、❶永遠の命とは、❷終わりの日の復活や死んで天国へ行く約束だと思っていました。しかし、ヨハネ伝では、マルタに対し、死んでしまった兄弟ラザロについてその再生を信じるようにキリストが話しました。

ヨハネ伝11:23-26

11:23イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は必ず復活する」。
11:24マルタは彼に言った、「❷終わりの日の復活の時に、彼が復活することは知っております」。

11:25イエスは彼女に言われた、「わたしは❸復活であり、命である.わたしの中へと信じる者は、❸たとえ死んでも生きる.
11:26また、生きていてわたしの中へと信じる者はすべて、❶決して永遠に死ぬことはない。あなたはこれを信じるか?」

ヨハネ伝11:23-26(回復訳)

 

11章24節 フットノート❷
主はマルタに、「あなたの兄弟は必ず❸復活する」と言われました(23節)。これは、主が彼を直ちに復活させようとしておられることを意味します。ところがマルタは、この主の言葉を、❸現在の復活を終わりの日に延期して解釈しました。神聖な言葉の何という解釈でしょう! ある❺根本主義的教えの知識は、真に人を駄目にし、人が主の現在の復活の命を享受することを妨げます。(回復訳)

 

❷終わりの日の復活ではない!

主イエスは❸復活であり、命であり、主イエスの中へと信じる者は、❸たとえ死んでも生きる!
また、生きていて主イエスの中へと信じる者はすべて、❹決して永遠に死ぬことはない!あなたはこれを信じるか?

と言っています!そして、墓の中からラザロを❸肉体として復活させ、連れ出したのです!

主はマルタに、「あなたの兄弟は必ず❸復活する」と言われました(23節)。これは、主が彼を❸肉体として直ちに復活させようとしておられることを意味します。ところがマルタは、この主の言葉を、現在のキリスト教の教師がよく言うように、復活を終わりの日に延期して解釈しました。

神聖な言葉の何という解釈でしょう! 

ある❺根本主義的教えの知識は、真に人を駄目にし、人が主の❸現在の復活の命を享受することを妨げます。〜回復訳のフットノートは説明しています。

キリストが語られたのは、「今、ここで」の復活です!この聖句は、❸肉体の復活と永遠の生命について話しています!「いつかは、どこかで」ではない!「今、ここで」復活するのだ!

「わたしの中へと信じる者は、❸たとえ死んでも生きる.また、生きていてわたしの中へと信じる者はすべて、❶決して永遠に死ぬことはない。あなたはこれを信じるか?」と直球に語られた❸肉体の復活と❶永遠の命!

わたしは、これを求めてやまないのです!

パウロが求めていたのもこの❸肉体の復活でした!

「わたしは、キリストとその❸復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、❻その死の姿にあやかりながら、 何とかして❶死者の中からの復活に達したいのです。」
‭‭フィリピの信徒への手紙‬ ‭3:10-11‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/php.3.10-11.新共同訳

❻その死の姿にあやかりながら、 何とかして死者の中からの復活に達したいのです!

間違っても、この復活の力を別の解釈や言い訳にすり替えてはなりません。現代のリベラルな教えでは、自分が理解できないものを信じようとはしません。聖書の御言葉も、自分の頭で理解できる翻訳しかできないのです。

聖書にある摩訶不思議なこの力を、信じられないから曲解し、言い訳し、「死んでから天国に上がることだとか、終わりの日に復活することだ」とか言うのならば、マルタと同じ。古い人間的な常識に囚われた、価値のない発言です。それに対して、キリストはどうおっしゃったか?「あなたは、これを信じるか!」と言われます!

主イエスは、「わたしの中へと信じる者は、❸たとえ死んでも生きる.また、生きていてわたしの中へと信じる者はすべて、❶決して永遠に死ぬことはない!」

あなたはこれを信じるか?

これが、現代のキリスト教の真偽を分ける聖句なのであります。

そして、わたしの目標は、

「キリストとその❸復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、❻その死の姿にあやかりながら、 何とかして❸死者の中からの復活に達したいのです!」

以前に小指を骨折し、医者に行かずにいました。しかし、その痛みを感じるときに、キリストの十字架の痛みを感じるんです。キリストのそのお苦しみに預かって、その死(十字架)の姿にあやかりながら、そのキリストのこの世での痛み、十字架へと向かう人生での生きることの辛さやお苦しみを思うとき、自身の痛みに対して逆に喜びが湧き上がりました。

そうすると不思議です。その骨折した指も痛くなくなり、気にならず気づかないうちに治っています。最近、今まで患いと思っていたものが全て癒されていることに気付きました。煮え立つ湯に触れても熱くない。火傷もしない。そんな不思議な体験も多々あります。

復活の命とは、「キリストにある苦しみと❻死にあずかる」ことに、秘密があるのでしょうか?

何も、苦悩しろ、病気と共存しろと言い、自虐的になれと言ってるわけでないのです。勘違いしないでいただきたい。

苦痛や死に瀕しても、それをOVERCOMEする信仰。それらを気にもとめない信仰を持つとき、現実もOVERCOMEされるのだと言っているのです。「キリストにある苦しみと❻死にあずかる」信仰生活が、「キリストとその❸復活の力とを知る」鍵かもしれません。

痛みや苦痛を与えても、キリストを思い浮かべて喜び、益々信仰深くなるようでは、悪霊も痛めつけるのをやめてしまうのでしょう。

とにかく「何とかして❸死者の中からの復活に達したいのです!」

これが当面の目標であります。

南インドへ宣教に行った使徒トマス。伝説では、最期に槍で刺されて殉教しましたが、彼は槍の痕を触りながら、復活の主が「触れてみよ」と言われた脇腹の傷を思い出し、喜びのうちに召天したと示されています。

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