サンニャーシンの心が見える。励まされますが、、
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、❶キリストの律法に従っているのですが、❷律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」
コリントの信徒への手紙一 9:19-23 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/1co.9.20-23.新共同訳
「わたしは神の律法を持っていないわけではなく、❶キリストの律法に従っているのですが、❷律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。」
パウロの持つ❶キリストの律法に従うとは?日本人は、❷律法を持たない人がほとんどです。偶像崇拝はするし、豚を食べるし、安息日は、守らない。それでも❷律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになるとは、どういう行動なのでしょうか?
仏教徒が多い日本人に対しては、その対応で悩みます。