神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。開示できるもののみです。栄光在主!

安息日の主2 〜4次元での聖時間

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2018.7.17撮影たくさんの視線

安息日とは、何なのだろう?

マタイ伝12章より

12:1そのころ、イエス安息日に麦畑を通られた。弟子たちは❶空腹になったので、❷麦の穂を摘んで食べ始めた。
12:2パリサイ人はこれを見て彼に言った、「ご覧なさい、あなたの弟子たちが、❸安息日にしてはならないことをしています」。

12:3イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデが❶飢えた時、共にいた者たちと何をしたか、読んだことがないのか?
12:4彼は神の家へ入り、祭司のほか、彼も共にいた者たちも❷食べてはならない供えのパンを、彼らは食べたではないか。
12:5またあなたがたは、安息日に❹宮にいる祭司たちが安息日を犯しても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか?
12:6しかし、わたしはあなたがたに言う.❺宮よりも大いなるものがここにいる。
12:7また、『❻わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたなら、あなたがたは罪のない人を罪定めしなかったであろう。
12:8人の子は安息日の主である」。(回復訳)

 

安息日に、主は「❺宮よりも大いなるものがここにいる。また、『❻わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたなら、あなたがたは罪のない人を罪定めしなかったであろう。」と言われ、安息日でのパリサイ人の弟子たちを罪定めする心を批判しました。

しかし、なぜ安息日を大切な戒めとして十戒に定めたのでしょうか。

十戒より

出エジプト記20:8

זכור את־יום השבת לקדשו ׃

安息日を覚えて、それを聖とせよ。

安息日は、ご存知の通り週の7日目(土曜日)です。

この7日目を❼聖とせよとは、聖別せよ  と言うことです。

キリスト教で、聖なる使用にあてるため、人や物を儀礼的にきよめ、世俗的使用から区別することを❼聖別と言います。

❼聖別には、いくつかの種類があります。

聖公会においては大きく分けて3つの聖別がある。聖体の聖別、聖職者の聖別、ものの聖別である。いずれも❽物質(人)を神に仕えるために用いるために、聖なるものとする行為である。中でも、聖餐式中の聖体の聖別は最も重要な秘蹟サクラメント)の1つとされているため、器具の聖別とは同列に扱うことは出来ない。」

東方教会(正教会)において、成聖(「聖なるものと成す」の意)とは、❾神とのつながりを回復することを指す。❽物品の神とのつながりを回復することを指して成聖とすることの他、人が成聖されることについても概念が存在し、聖人は神から与えられた賜物をもって成聖を成し遂げた者とも位置づけられる。」〜Wikipediaより

しかし、旧約聖書には❽物質(人)の聖別のほかに❼聖別すべきことがあります。それは、創世記や十戒の中にあるのです。

 

➓【場所の聖別】

それを示す箇所が創世記28:11~22にあります。

ヤコブが…

28:11一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
28:12時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
28:13そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
28:14あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
28:15わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
28:16ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
28:17そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。➓これは神の家である。これは天の門だ」。
28:18ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
28:19その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
28:20ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
28:21安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
28:22またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。」(口語訳)

ヤコブは、ベテルで石を枕に眠ると、天使が上り下りするはしごを見ます。そのはしごの頂は天に通じます。その夢の中で主から祝福を受けるのです。この箇所では「主は彼のそばに立って、『わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう』と告げられ、ヤコブは『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』と言って恐れています。ヤコブは、ここをベテルと名付け、特別な場所としました。また、エルサレム神殿の至聖所も同じ➓聖なる場所でした。

⓫【時間の聖別】

十戒出エジプト記20章

20:2わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

20:3あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

20:4あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

20:5あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、

20:6わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

20:7あなたの神、⓬主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

20:8⓫安息日を心に留め、これを聖別せよ。

20:9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、

20:10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。

20:11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は⓫安息日を祝福して聖別されたのである。

20:12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

20:13殺してはならない。

20:14姦淫してはならない。

20:15盗んではならない。

20:16隣人に関して偽証してはならない。

20:17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(新共同訳)

安息日は、⓫時間の聖別です。週の第7日を安息日として❼聖別することは、4次元以上の世界では、大切な感覚です。4次元以上の世界では、3次元で場所を移動する旅行のように、自由に時間を超えていろいろな時代に行くことができるのです。しかし、この世界で危険な場所や立ち入り禁止場所、神聖な場所等があるのと同じように、入ってはいけない時間、⓫神聖な時間があるはずです。主は、それを私たちに意識させようとしているのでしょう。

また、神が天地創造の後で7日目に休まれました。神にとっての1日は1千年のようです(第2ペテロ3:8)。7千年目を心から迎えることができるように、安息日を楽しみに迎え、最後の千年王国を待ち望み、聖とすべきです。毎週金曜日の日没から土曜日の日没が安息日なのです。

❽物、人、➓場所を聖とするだけでなく、⓫時間を聖別する意識を身につけることが、安息日を守ることの基礎なのでしょう。

⓬【御名の聖別】

レビ記22:32
あなたたちは聖なるわたしの名を汚してはならない。わたしはイスラエルの人々のうちにあって聖別されたものである。わたしはあなたたちを聖別する主である。(新共同訳)

もうひとつ⓬御名を聖とすることも戒めにあります。⓬「御名が聖とされますように!」(マタイ6:9)と祈るだけでなく、御名の真意を理解すべきです。⓬主の名をみだりに唱えてはならないとは、御名をしっかり理解して唱えよと言われているように感じます。御名を聖とする戒めは、もっと高い次元へと繋がっているようです。種々の聖別とは、われわれがいる世界よりも、聖別されたより高い次元があるという意識を開く鍵のようなものです。

種々の戒めの目的は、聖別された より高い次元にわれわれの意識を導くことなのです。

聖なる方を目標にして、意識して生きよと言われているのでしょう。

レビ記11章

11:44わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれわたしが聖なる者だからである。地上を這う爬虫類によって自分を汚してはならない。

11:45わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。(新共同訳)

御名が聖とされますように!「ありてある方」は聖なる方、そして、われわれも聖なる者となるのです。主の聖なる御名は、モーセと共にありてあった方、われわれと共に「ありてある方」だからです。

 

安息日について、こう書きながら、私自身は、意識の低い者です。安息日の過ごし方は、主の御声に従います。わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であるからです。

ピリピ1章

1:18それではどうなのでしょうか? 見せかけであろうと真実であろうと、あらゆる方法でキリストが宣べ伝えられているのですから、わたしはこのことを喜んでいます.そうです.わたしはこれからも喜びます.

1:19というのは、あなたがたの祈り求めることと、イエス・キリストの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.
1:20そこで、わたしの切なる期待と希望は、わたしがどんな事にも恥じることなく、かえっていつものように、あらゆる事で大胆になって、生きるにも死ぬにも、今なおキリストが、わたしの体において大きく表現されることです
1:21なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であるからです。(回復訳)

レビ記11章

11:45わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。(新共同訳)

*キリストは、安息日の主なのですから、安息日に、キリストが、わたしの体において大きく表現されることを願います。

マタイ12:8「人の子は安息日の主である」(回復訳)からです。

 

出エジプト記20:3
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

 

主は、われわれに高い天の領域へ立ち帰れと言っているのでしょう。主と共に過ごす安息の領域へ。

「立ち帰れ!天の王国は近づいたからだ!」(マタイ3:2)