安息日のご臨在 2018.7.14撮影
安息日とは、何なのだろう?
マタイ伝12章より
12:1そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは❶空腹になったので、❷麦の穂を摘んで食べ始めた。
12:2パリサイ人はこれを見て彼に言った、「ご覧なさい、あなたの弟子たちが、❸安息日にしてはならないことをしています」。
12:3イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデが❶飢えた時、共にいた者たちと何をしたか、読んだことがないのか?
12:4彼は神の家へ入り、祭司のほか、彼も共にいた者たちも❷食べてはならない供えのパンを、彼らは食べたではないか。
12:5またあなたがたは、安息日に❹宮にいる祭司たちが安息日を犯しても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか?
12:6しかし、わたしはあなたがたに言う.❺宮よりも大いなるものがここにいる。
12:7また、『❻わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたなら、あなたがたは罪のない人を罪定めしなかったであろう。
12:8❼人の子は安息日の主である」。(回復訳)
同じ箇所がルカ伝6章では、
6:1さて、ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられた時、弟子たちは❷麦の穂を摘んで、手でもみながら食べていた。
6:2すると、パリサイ人のある者が言った、「なぜあなたがたは、❸安息日にしてはならないことをしているのですか?」
6:3イエスは彼らに答えて言われた、「あなたがたは、ダビデが飢えた時、共にいた者たちと何をしたか、読んだことがないのか?
6:4彼は神の家に入り、祭司のほか、だれも食べてはならない❷供えのパンを取って食べ、供の者たちにも分けてやったではないか」。
6:5そして、イエスは彼らに言われた、「❼人の子は安息日の主である」。
6:6また、別の安息日に、イエスは会堂に入って教えられた.そこに一人の人がいて、右の手がなえていた。
6:7聖書学者とパリサイ人は、❽イエスが安息日にいやすかどうか、注意深くうかがっていた.それは、❾彼を訴える理由を見つけ出すためであった。
6:8しかし、イエスは彼らの考えていることを知り、手のなえている人に言われた、「起きて真ん中に立ちなさい」。彼は起きて立った。
6:9そこでイエスは彼らに言われた、「わたしはあなたがたに一つ聞きたい.➓安息日に善を行なうのと悪を行なうのと、⓫命を救うのと滅ぼすのと、どちらがよいのか?」
6:10そして⓬彼ら一同を見回して、イエスは彼に言われた、「あなたの手を伸ばしなさい!」。彼は伸ばした.すると、彼の手は元どおりになった。
マルコ伝 2章
2:27イエスはまた彼らに言われた、「⓭安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。
2:28だから、❼人の子は安息日の主でもある」。(回復訳)
安息日とは、何だろうか考えてしまいます。
❶空腹の弟子たちは、麦畑で麦の穂を摘んで食べ始めました。パリサイ人は、「❸安息日にしてはならないことをしています」と弟子たちを⓮罪定めします。それに対して、主イエスは、ダビデは❶空腹のときに❷食べてはならない供えのパンを、食べたではないか。安息日に❹宮にいる祭司たちが安息日を犯しても罪にはならない。❼人の子は安息日の主であると言います。
また、ルカ伝で、❽イエスが安息日にいやすかどうか、注意深くうかがっていたパリサイ人は、❾彼を訴える理由を見つけ出すために一生懸命でした。
それに対して、主イエスは、『❻わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたなら、あなたがたは罪のない人を罪定めしなかったであろうと言い、➓安息日に善を行なうのと悪を行なうのと、⓫命を救うのと滅ぼすのと、どちらがよいのか?と言って、右手がなえた男を癒されました。
パリサイ人は、安息日を聖別すべきだと言いながら、その安息日に弟子たちを⓮罪定めし、❾イエスを訴える理由を見つけ出してやろうという憎しみの思いで心を満たしていたのです。
主イエスは、それを見抜いて、➓安息日に善を行なうのと悪を行なうのと、⓫命を救うのと滅ぼすのと、どちらがよいのか?と言ったのでしょう。
❶空腹なら、❷食べたらよろしい、⓭安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない〜とも言われました。パリサイ人のように、人を罪定めし、人をひっかけてやろうと虎視眈々と安息日を過ごすより、⓭安息日は人のためにあるのであって、心を悪や世俗から解放し、➓善を行ない❻あわれみをもって、⓫命を救い、❶食べて、癒されよ〜と言っているようです。福音書では、安息日に心のあり方を問うている主イエスの姿が見うけられます。