神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

トマスの福音書32、33 〜山の上の町となれ

継続してトマスの福音書を解説し、意訳しています。

32

Said-JS32 this: a-city they-are-building (her) upon-a-moun-tain ()raised-up, she-being-fortified, no-way that-she-fall&nor she-can-be-hidden not.

33

Said-JS33 (this) he-who you(sg)-will-listen to-him in-your(sg)-ear (and?) in-the-other-ear, preach him upon-your(pl)-housetops; > (for) does-not-anyone, (- --), burn(a)lamp & ()-put-him under-ear(?) &nor does-not-he-put-him in(a)place ()hidden. > Rather, does-he-put-him up on-the-lamp-stand, so that one -any who-goes in and who-comes out, they-may-look upon-his-light. 

 

32直訳

JS32 イエスはこう言った:かれらが❶山の上に建てている町は、あげられ、堅牢にされている。これは、決して❷落とされることもなく、❸隠れることもできない。

33直訳

JS33 イエスはこう言った:あなたの耳であなたが彼から❹聞くことを、ほかの耳に、あなたがたの❺屋根の上から彼に宣べなさい。

というのは、だれも❻灯火を枡の下に置かないし、隠されたところに置かない。むしろ、それを❼燭台の上に置きなさい、出入りする者はその灯火が見えるだろう。

 

この二句は、マタイ伝にも記されたものです。

マタイ5章と10章

5:14  あなたがたは❻世の光である。❶山の上にある町は、❸隠れることができない。
5:15 人は❻ともし火をともして、それを升の下に置くことはしない.むしろ、❼燭台の上に置いて、家の中にいるすべての人を照らす。
5:16 同じように、あなたがたの❻光を人々の前に輝かせなさい.それは、彼らがあなたがたの❽良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父に栄光を帰すためである。

10:27わたしが暗やみの中であなたがたに❹言うことを、明るみで語りなさい.あなたがたが耳元で聞くことを、❺屋根の上で言い広めなさい。(回復訳)

 マタイ伝どおりです。

❶山の上、❺屋根、❼燭台は、高いところです。そこは、隠れることのできないよく見えるところです。そこから❻光を放ち、❹言い広めよと言っています。光は、❽良い行ないであり、それを人々が見て、天におられるあなたがたの父に栄光を帰すためであると言っています。また、❹主から聞いたことを言い広めるようにと言っています。高いところに町を築く、燭台の上、屋根の上に行けば、隠れることはできないのです。これは、高く主に近づくこと。そうすれば、隠れたくても、隠れることができなくなるのです。光(良い行い)が、人々を輝き照らすのです。人々に良い行ないをすれば、それを見て、人々は天におられるあなたがたの父に栄光を帰すのですね。

説明は、いりませんね。マタイ伝と同じものです。ますます、トマスの福音書がQ資料と呼べるものであると確信できます。

32意訳
JS32 イエスはこう言った「かれらが山の上に建てている町は、高く築かれ、堅牢にされている。これは、決して攻め落とされることもなく、隠されることもない。」
33意訳
JS33 イエスはこう言った「あなたの耳であなたが主から聞くことを、ほかの耳に(伝え)、あなたがたの屋根の上から彼に宣べなさい。
というのは、だれも灯火を枡の下に置かないし、隠されたところに置かない。むしろ、それを燭台の上に置きなさい、出入りする者はその灯火が見えるだろう。」

 

祈りの中で112 〜キリストの身体

今日の礼拝では、イエスの血汐が各教会員に流れている幻を見ました。キリストの身体に血液の流れがある。主の血汐が、教会に満ち、脈打ち流れて見えました。

 

Ⅰコリント12:27

今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。(回復訳)

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💖イエスのピスティスで生きる

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ローマ3章

3:21 しかし今や、律法とは別に、しかも律法と預言者によって、❶神の義が明らかにされ、証しされました.
3:22 すなわち❶神の義は、❷イエス・キリストの信仰(ピスティス)を通して、信じるすべての人にもたらされました.そこには何の差別もありません.
3:23 なぜなら、すべての人は罪を犯したので、神の栄光に欠けており、
3:24 価なしに,❸彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、義とされるからです.
3:25 神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とされました.それは❹彼の血により、信仰を通してであって、❺彼の義を明らかに示すためです.すなわち、人が以前に犯した罪を、神は忍耐をもって見過ごされましたが、
3:26 それは現在の時に❺彼の義を明らかに示すためです.こうして❶神が義であり、また彼は❻エスの信仰の者を義とされるのです。
3:27 それでは、どこに誇ることがあるのですか? 全くありません。何の法則によってですか? 行ないの法則ですか? そうではなく、❼信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、人が義とされるのは、律法の行ないによるのではなく、❽信仰によると、わたしたちは勘定するからです。
3:29 それとも彼は、ユダヤ人だけの神なのですか? 彼は異邦人の神でもないのですか? そうです、異邦人の神でもあるのです.
3:30 神は唯一ですから、割礼の者を❾信仰のゆえに義とし、また無割礼の者を、❾信仰を通して義とされるのです。(回復訳)

 

最近ある課題があって、心の中に恐れを持ってしまいました。それは、自分の信仰が弱いものだと思っていたのですが、その姿勢自体が間違っていることに気づかされました。もともと 信仰とは、自分自身の行いや努力によるものではない。もともと信仰とは自分の心が信じて疑わないということではない。もともと信仰とは、自分のものではない。イエス・キリストのものだ。「イエス・キリストの信仰(ピスティス)を通して、信じるすべての人にもたらされた」❶神の義とローマ書に書いてある。

3:22❶δικαιοσύνη δὲ Θεοῦ διὰ ❷πίστεως Ἰησοῦ Χριστοῦ, εἰς πάντας τοὺς πιστεύοντας· οὐ γάρ ἐστιν διαστολή·

--❶the righteousness of God through ❷faith of Jesus Christ, toward all those believing, no indeed there is distinction.

また、ローマ3章は、「❸彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖い」「❹彼の血により、信仰を通してであって」「❺彼の義」「❻イエスの信仰の者」「 ❼信仰の法則」「❽信仰による」「❾信仰のゆえに義とし、❾信仰を通して義とされる」とつづく。

一体誰の信仰によるのか?❷誰の恵みによって、誰の贖いによって、❹誰の血によって、❺誰の義を神が認めたのか?❻誰の信仰の者を、❼誰の信仰の法則が、❽誰の信仰により、❾誰の信仰のゆえに義とし、❾誰の信仰を通して義とされるのか?

 誰?イエス・キリスト以外にいない。主イエス・キリストの信仰(ピスティス)を通して私は救われたのだ。自分の信仰が強く、信仰深いから救われたのではない。自分の信仰が弱いから救われないのでもない。主イエスが絶大な信仰を持って救いを完成されたのだ。救いを完成された❷主イエス・キリストの信仰(ピスティス)に乗っかって生きるのが、❶神の義なのです。このことを示されて、本当に心の恐れがなくなり、自分には信仰がないと震えることもなくなった。なぜなら、主イエスご自身の信仰は揺らぐことがなく、山を動かし、水の上を歩き、死からよみがえったのですから。自分はイエスに頼る少しの信仰があれば良いのであります。つまり、❷イエス・キリストのピスティスにより頼み、イエス・キリストの岩の上に生きることなのです。これにより信仰が揺るがないものであると理解しました。なぜなら、自分の信仰ではなく、❷主イエスの持つ信仰によって山が動きだし、水の上を歩きはじめることが可能なのですから。これは私の信仰ではなく、イエスのピスティス(信実)の体験です。このことを理解できたことは、本当に感謝なことです。

 

イエス・キリストのピスティスは、ギリシャ語の主格的属格で理解すべきです。

パウロにおけるイエス・キリストの ピスティスの意義     シェアさせてください。

ロマ3: 22,26; ガラ2: 16; 3: 22; フィリ3: 9の釈義的考察  
原 口 尚 彰氏

http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2015/pdf/no03_03.pdf

あなたは、どちらだと思いますか?

🎵讃美 〜祈り

Ⅰテサロニケ5:1〜3

しかし、兄弟たちよ、あなたがたはその時や時期について、何も書き送ってもらう必要はありません.
5:2 なぜなら、あなたがた自身、主の日が来るのは夜中の盗人のようであることを、はっきりと知っているからです。
5:3 人々が「平安だ、安全だ」と言っている時、陣痛が妊婦に臨むように、突然の破滅が彼らに臨みます.そして彼らは、決して逃れることができません。(回復訳)

 

https://youtu.be/zAkhiERtFao

日本にもいい歌があるなぁ。