神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

💚レーマを読み解く8 ~霊を見分けよ!その3

 「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、❶聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、❷聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木は❸その実でわかるからである。」(マタイ12:31-33)

 サタンの得意とする人を誘惑する方法は90%の真実と10%のウソを利用します。

 たとえば、教役者批判はしたくないのですが、❶有名な教役者に罪をおかさせ、たくさんの人を躓かせたり、リーダーを使い、人々を間違った方へ誘導するのです。90%は本物らしい話をしますが、10%は、的はずれを提示します。米国の大衆伝道者にもいるのですが、その説教には聖書からのレーマはなく、パン種が入っていることがあります。種の入ったパンを食べてはなりません。
 「彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥です。彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3:19)~お金儲けを優先したりします。
 「あなたは、自分では富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」(黙示録3:17)~聖さがなく、罪があり、み言葉に対し盲目です。

 また、残念なことですが、大声での恫喝で人を倒すなど大掛かりな宗教劇を行うようなベニー某のようなインチキリーダーもいます。そんな者が日本に来ると、米国で行われるような派手な奇跡は起きず、何もできなかったりします。また、広義には、神からの出自でない宗教もそれに当たります。自分こそキリストだと言う新興宗教の教祖が、実際にいます。彼らは、❶偽って聖霊様を汚す者たちです。

 それとは全く反対の立場になる方々もいます。その人たちは、異言や聖霊の御業、癒しまでもニューエイジや悪霊の業と結びつけて危険だと教えてしまいます。こんな現代のパリサイ人のようなリーダーがキリスト教界にいることも事実です。彼らは、霊的なことを拒否し、❷聖霊様に反対し否定する❷聖霊に対して言い逆らう者たちです。

 上記の❶❷の両者は、どちらも危うい者たちです。両方のウソを見分けなくてはいけません。

 まず❶ニューエイジとは、"神智学"を淵源として1960年代にアメリカ合衆国西海岸を中心地とした"霊"(霊性・スピリチャリティ)の進化論を唱えた思想です。これはアメリカ発です。

 多くの人々が混乱しているのは、ニューエイジなどの行う心霊術やチャネリングが、サタン=堕天使がかつては天で使っていた法則を用いているからです。堕天使が行う業は、天国で学んだものを基礎にしており、それを使って人々をだまし、自分を崇拝させようとしています。以前から言っていますが、天でも使われている霊界の法則が含まれていて、それで混同し、神からのものか悪霊からのものか混乱しているのです。これがサタンの巧妙なテクニックでもあります。サタンからの出自は、喜びのないもので、気分の悪いものです。

 神様の側の聖霊の御業は、使徒行伝にある五旬節(ペンテコステ)に異言をともなって顕著に起こりました。

 聖書にあるこの聖霊降臨の記事は、悪霊の業なのでしょうか。いいえ違います。では、❷一部のリーダーが言うように聖霊運動を、悪霊やニューエイジの活動と決めつけて、パリサイ人のように癒しを悪霊のわざ(マタイ12:24)と言っていいのでしょうか。いいえ、間違いです。

 神様が天から送られた聖霊様の御業も、スピリチャルな部分を多く持ちます。異言や預言、顕著な奇跡力も伴い、聖書を解き明かしてくれて、霊を見分ける力も与えてくれます。世の常識を超えた奇跡や瞬間移動など悪霊からのニューエイジやレイキと部分的にその特徴が似ているところもあります。どちらも、天の世界の法則を基礎に使っているからです。それで霊的体験のほぼないと言っていい者❷は混同し拒絶するのです。しかし、その不思議な現象は、どこが主体かを見極めるべきです。神からのものか堕天使(サタン)からのものかでその意図や目的が違ってきます。仏教僧でも水垢離して人の病気を治しますが、それは水垢離する者の寿命を短くし、地獄を近づけます。また、諸霊とチャネリングする者も、命を縮めます(歴代志上10:13-14)。そこに天の法則の利用はありますが、悪霊の関係には、神の祝福はありませんし、喜びもありません。真実の愛なる神のみに繋がるべきです。そんなことを見極める目を持つべきです。

 ❶は、90%の真実と10%のウソで悪意をもって人々をだます宗教家や指導者です。宗教が商業化した米国にもあるようです。❷は、霊について疎いまじめな教役者に多いようです。

 ❶偽って聖霊様を汚す者たち、❷聖霊様に反対し逆らう者たち、どちらも巧みなサタンの働きによるもので、混乱しているのです。 

 主イエスは、上記のマタイ伝で❸その実を見て判断せよと言っています。

❶や❷のような聖霊を汚し、聖霊に対し言い逆らうリーダーは、罪深くゆるされることがないのです。彼らが何を語っているか、どんな実を結んでいるかを注意深く見極めることは大切なことです。金銭を愛していたり、不品行であったり、戦争を奨励したり、聖霊の御業を否定したり、聖書にある信じる者に与えられる業もなく、御霊の実もなく、み言葉と違うことをことさらに勧めたりする者には気を付けた方がいいでしょう。

 聖霊様に聞き、霊の目で見、数分のメッセージを聞けば、それがどこから来ているか判別できるものです。自分が大学生のころ、米国の大衆伝道者が大阪に来ました。彼の話が始まるとすぐ気分が悪くなって、途中で帰ったことがありました。その気分は、まるで海水を飲まされているようでした。その後、この伝道者の言動(実)を見て、その危うさから距離を置くことを判断しました。しかし、「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木は❸その実でわかるからである。」とも書いてあり、多くの良い実を結んでいるなら、許容すべきです。

聖霊によらなければ、だれも『❹イエスは主である』と言うことができない。」(Ⅰコリント12:3)

 現在、聖霊の一致がなくて行われている形式的なエキュメニカル運動も危険です。偶像崇拝を同じ神のように言ったり、間違った道を示すリーダーや自分を崇拝させるような宗教家に心を預けるのは危いことです。

『❹イエスが主』なのです。自分を前面に出し、自分の名で多くの人を集めるような者。イエス以外のものを拝んだり、ロゴスなるイエスから外れたことを語り行う者たちについて行ってはいけないのです。

「世の終わりまで、いつも共にいる」(マタイ28:20)と言われたイエスご自身のみについて行くことが、正解です。 

人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。(エレミヤ31:34)   

    もはや言葉や教理ではなく、主ご自身がご臨在されると言うことでしょう。「いつもあなたとともにいる」と仰る主により頼む信仰生活。人ではなく、主イエスに祈り、従い、ご臨在を感じる人生を!このみ言葉の成就を心から願います。

 

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