神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

聖霊を受けよ その1~アズサストリート FB

 聖霊降臨は、初代教会ばかりのことではない。1900年にカンザス州のベテル聖書学校の祈祷会で指導者のチャールズ・パーハムとほとんどの生徒が聖霊バプテスマを経験し、異言を語ったのを皮切りに、1901年にパーハムは学生と共に巡回伝道を行った。1905年にパーハムはテキサス州ヒューストンに聖書学校を移した。

 その時の神学生にウィリアム・シーモアがいた。シーモアも異言が聖霊による火のバプテスマであることを経験し、1906年4月に伝道者として、ロサンゼルスのアズサ通りにあった活動していないメソジスト教会で1909年まで3年間集会を継続した。信徒がエクスタシーに陥り、異言を語った。この出来事がロサンゼルスの新聞に掲載され、全米に広がり一大センセーションを巻き起こした。これが20世紀の世界に広まったペンテコステ運動の始まりになった。
 このペンテコステ運動は、今も脈々と延焼しているが、火の勢いがなくなる場所では、異言のようなものが出たから聖霊を受けただとか、残念ながら求める努力をせずに安易に考えるものもあらわれた。大火事のように、もっと燃えなくてはならない。
 偶然にウィリアム・シーモアさんのご子孫にお会いしたことがあります。大胆で異言と霊歌を叫び歌い、熱く伝道する間違いなく聖霊に燃えあがった方でした。

マタイ3:11にバプテスマのヨハネが語っています。「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、❶聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」
 また、使徒行伝2:2ー4では、「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌(ことば)のようなものが、❷炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」とあります。
 ❶❷からも聖霊は火に関係します。とくに聖霊体験者の多くは、火を幻視しています。
 聖霊を受けるためには、渇いた魂でなければなりません。私を導いた師や敬愛する師は、祈りの中で受けました。これは、自然界では乾燥による自然発火の状態です。しかし、そこまで乾かなくても、ある程度乾いた者は、聖霊の火に燃えあがっている人や場所に触れさえすれば、延焼します。
 聖霊は火です。なま渇きの魂では、なかなか延焼しません。くすぶるだけです。求めて求めて「もうだめか」と涙も渇くときには、火が飛び込んで大火となって燃え上がることでしょう。また、大火事のような燃える神の霊に触れればどんな人も燃え上がることでしょう。
 聖霊体験が人によりマイルドである人と激しい体験とがあるのは、魂の渇き方に差があります。くすぶって終わっている人は、もう一度神の聖霊の扱いに飢え渇くべきです。
 聖霊の燃焼する場所は、気をつけて探すべきです。聖霊の火を感じないようなおとなしいところでは無理です。
 異言や霊歌のある臨在の濃い教会がいいと思います。そんなペンテコステ派の教会がいいのではないでしょうか。神様のお扱いは、いろいろだと思いますが、祈り渇ききって、火のある所に行くこと。聖霊に燃え上がる人に按手されることが、聖霊体験の早道だと思います。聖霊の絶大なる喜びがおとずれることを、お祈りいたします。
 写真:William Joseph Seymour

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