以前、敬愛する師が語った迷謬の霊について記事にしたことで、躓いている方があると示されました。
敬愛する師は、自身の経験から以下のように書いていましたが、異言はこの世界の多種多様な言語や天的な言語もあることがわかっていますし、その中に英語も含まれていることは、間違いありません。
敬愛する師の記事より
「夕方、その牧師の家を訪ね、本人に会ってしばらく対談した。辞去しようとすると、共に祈ろうと言うので、共に祈った。そして同人に異言なるものを語らしめたら、驚くべし、❸いたずらに英語を口調よろしく、繰り返すだけである。「オー、グローリー、ゴッド、マイ・ジーザス、オー・グレイス、オー・ブレッシング、オー・ハレルヤ、オー・アーメン、アーメン、ハレルヤ、オー・ジーザス・クライスト、サン・オブ・ゴッド、マイ・セービア、オー・ハレルーヤ」と言うような調子で、大声に青白い顔で、歯をむき出して叫んで、盛んに英語の繰り返しをやっている。それで、「何んだ!そんな言葉は、❶それは英語ではないですか。異言じゃない。人を欺くとは、ひどいやつだ!」と私はとがめた。
「いいえ、私の教派は異言派である。これは異言です。私の大先生、M牧師が、私に保証してくれたから、これでよいんです」と言う。「馬鹿なことを言うものではない。だが一体、貴君はどう思うのか。❷不法な虚偽な真似をして、人々を悩ますとは、私はほうっておけぬ。キリストの御名にかかる故、許せぬ。白状せぬなら承知しないぞ」と私は詰め寄った。
「いや、実はこれは異言ではないのですが、私も先年、この教会の牧師としてM先生から任命されたからには、何とか異言らしいものでも語らなければ、体面が保てぬので、どうも信者たちの前では苦しいが、まぁ、こんなことを言ってきたわけです」と自白をした。」〜以上
「❶それは英語ではないですか」と師が語ったのは、「❷不法な虚偽な真似をして、人々を悩ますとは」と言って、師はその牧師の偽りを見抜かれていたからなのです。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、❸炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、❹ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録 2:1-4 新共同訳
五旬祭の日に、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて家中に響き、❸炎のような舌(言語)が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、❹ほかの国々の言葉で話しだしたとあります。
「❹ほかの国々の言葉で話しだした」と言うことは、英語も話されていたことでしょう。
「オー、グローリー、ゴッド、マイ・ジーザス、オー・グレイス、オー・ブレッシング、オー・ハレルヤ、オー・アーメン」と言うのが、迷謬の霊の仕業かというと、聖霊の働きの中に語っている方もあるかもしれません。
以前、私のお世話になった牧師も「グローリー、ハレルヤ、アーメン」はよく言っていました。異言なのか英語で語ったのかわかりませんが、英語が達者だったので祈りの中で英語が出てきたのかもしれません。また、有名なアメリカからの宣教師 穐近 祐師もメッセージに熱が入ると日本語と英語が混ざってしまうほど熱い方だったと聞いています。彼は、羽鳥明師や滝元明師に影響を与えた宣教師でした。
一概に、英語を語ったから迷謬の霊とは言えないのです。
私は、最近異言の祈りの中で真剣になればなるほど言葉が機関銃のようにたくさん出てきて、火のようになることを感じます。
聖霊によるものか迷謬の霊によるものかは、実を見て判断すべきなのです。
「英語がダメ」ということではなく、敬愛する師は、その方の実を見て判断されていたと考えています。
「良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
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このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。」
マタイによる福音書 7:18, 20 口語訳