神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

今夕のご臨在 〜雨の中の光

f:id:AdonaiQuoVadis:20210520051626j:image

2021.5.19撮影

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。 苦しみの日々が来ないうちに。 「年を重ねることに喜びはない」と 言う年齢にならないうちに。 太陽が闇に変わらないうちに。 月や星の光がうせないうちに。 雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。 その日には 家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。 粉ひく女の数は減って行き、失われ 窓から眺める女の目はかすむ。 通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。 鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。 人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。 アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い アビヨナは実をつける。 人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。 白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。 泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。 塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。 なんと空しいことか、とコヘレトは言う。 すべては空しい、と。 コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。 コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。 賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。 ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した。 それらよりもなお、わが子よ、心せよ。 書物はいくら記してもきりがない。 学びすぎれば体が疲れる。 すべてに耳を傾けて得た結論。 「神を畏れ、その戒めを守れ。」 これこそ、人間のすべて。 神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて 裁きの座に引き出されるであろう。」
‭‭コヘレトの言葉‬ ‭12:1-14‬ ‭新共同訳‬‬
https://www.bible.com/1819/ecc.12.1-14.新共同訳

コヘレトの言葉:伝道の書

旧約では、ここまで。新約の転換点へ

ローマ7〜8章

7:21そこでわたしは、善をしようと欲しているわたしに、悪が共にあるという法則を見いだします。
7:22わたしは、内なる人によれば神の律法を喜びますが、
7:23自分の肢体の中には別の法則があって、わたしの思いの法則に逆らって戦っており、わたしの肢体の中にある罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見ます。
7:24何とわたしは苦悩している者でしょう! だれがこの❶死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか?
7:25わたしたちの❷主イエス・キリストを通して、神に感謝します! このように、わたし自身、思いでは神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

〜内住のキリストによる霊の中にある解放〜

8:1そこで今や、キリスト・イエスの中にある者には、罪定めがありません。
8:2なぜなら、❸命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを*解放したからです。
8:3律法が肉のゆえに弱くて、なし得なかったので、神は、ご自身の御子を罪の肉の様で、罪のために遣わし、肉において罪を罪定めされました.
8:4それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、❸霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。
8:5なぜなら、肉にしたがっている者は、肉の事柄を思い、❸霊にしたがっている者は、その❹霊の事柄を思うからです。
8:6❺肉に付けた思いは死ですが、❹霊に付けた思いは❻命と平安です。(回復訳)

 

8章からの内住のキリストによる霊の中にある解放は、キリストの聖なる霊が確かに内住し、この身体を導いてくださる日々の現実です。

だれがこの❶死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか?❷主イエス・キリストです。 

❸命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したのです。
肉のゆえに弱くて、なし得なかった律法の義の要求が、❸霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。
肉にしたがっている者は、肉の事柄を思い、❸霊にしたがっている者は、その❹霊の事柄を思うのです。肉に付けた思いは死ですが、❹霊に付けた思いは❺命と平安です。

キリストとくびきを共にするとは、うなじの硬い言うことを聞かない肉にしたがっている者を、共に寄り添って引っ張って歩いてくださる方と繋がれることです。

それは、キリストの❸霊にしたがって、その❹霊の事柄(主の示される事柄)を思うようになるのです。❺肉に付けた思いは死ですが、❹霊に付けた思いは❻命と平安そのものです。

❺肉に付けた思いとは、自分だけが可愛くて、物欲、金銭欲に従う思い。主を愛し、隣人を愛せよの戒めから遠い思い。また、物質に依拠し一方向の時の流れだけを見る三次元のこの世の思いです。それらのゴールは、「死」です。

しかし、内住のキリストによる霊の中にある解放とは、キリストの聖なる霊に満たされて、意識せずにも主を愛し、隣人を愛するようになる「*解放」です!「*解放」とは、縛り付ける戒めとは違うのです。意識せずに、愛があふれて、それが父なる神を愛し、隣人を愛し、その情動で行動する。キリストと共なるくびきとは、キリストの❹霊に付けた思いです。キリストの霊に導かれます。そのゴールは「❻命と平安」です。