神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

敬愛する師10 ~大胆な福音宣教 FBより

参加者証詞より〜  1966年(昭和41年)元旦に身延山で新年聖会が開かれた。このことは日蓮宗出身の私にとって大きな驚きであり喜びでありました。他宗門を絶対に身延山に入れず、他宗教を排撃して、ただ折伏だけを行なってきた日蓮宗総本山が、七百年の伝統を破って、十一の宿坊を開放して原始福音の新年聖会に提供されたことは大英断であり、史上初めての出来事とて、実に不思議な摂理だと思います。先生は「日蓮上人に学ぶもの」と題して語られました。
〜中略〜
 キリストの神は決してキリスト教だけの神ではなく、全世界の神であり、全宗教の仰ぐべき真の光である。真の神はただ一つ、絶対神は一宗教の独占すべきものでない。キリストは全人類が仰ぎ信ずべき神であり、決して我ら原始福音の群だけの神でもない。
 一般のクリスチャンは仏教の寺で集会すべきでないと言って非難します。しかし、私は日蓮上人を日本の生んだ最大の宗教的偉人であると尊敬している人間でして、その墓前でキリストの福音を説き得ることを大いに光栄に思います。...
~以上マクヤの
証しよりシェアさせていただきました。
 日蓮宗の総本山に乗り込んで聖会をしてしまう。何という破天荒な大胆不敵な師の福音宣教。これこそがキリストの宣教姿勢だと信じます。
 あれはカルトだとか、異端だとか宗旨が違うなどと言ってるような小さいキリスト教信仰では、100年たってもできやしない。当時の敬愛する師の福音宣教は、今のどの群れの宣教とも違って抜きん出ていた。いろいろご批判もあるようですが、他宗教の最も暗い所へ光を投ずるがために、神社仏閣を聖会の会場に使う。その宣教姿勢は、ぜひ見習うべきところです。キリストはシーク教徒のサンダーシングにも、仏教徒にも、イスラム教徒にも現れ回心を導きたもうたではないか。この世の常識に縛られているようじゃキリストの信仰は理解できません。天の常識で実行することです。以前、奈良福音教会の宮谷師は大仏殿でゴスペルコンサートをしたが、そんな大胆不敵な天国の常識を私も持ち行動したい。最も暗い所に光を!主YHWHの御恩寵に感謝し、栄光在主!

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