たての糸はイエス
よこの糸はわたし
「糸」の歌詞は、奥深い。こころに語りかけます。
マルコ伝15:46
そこでヨセフは細糸の亜麻布を買って来て、イエスを取り下ろし、その亜麻布で包んだ。彼は岩に掘った墓にイエスを納め、墓の入り口に石を転がしておいた。(回復訳)
たてとよこの愛に包まれて、もはや自分はキリストと共に葬られたのです。神への愛と隣人への愛に包まれて、キリストが復活したのです。
ここに栄化の奥義が見えます。縦の糸は、神への愛。横の糸は、隣人への愛。幾重にも折りなす縦横の愛が、内なるキリストを復活させるのです。
1コリント15:54、58
54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着る時、書き記されている言が成就します、「死は飲み尽くされて、勝利へと至った」。
58こういうわけで、わたしの愛する兄弟たちよ、堅く立って、動かされることなく、いつも主の働きに満ちあふれていなさい.あなたがたの労苦は主にあって無駄になることはないと、知っているのですから。(回復訳)
枕する場所もなかったキリスト。天父への祈りと隣人の救いのために奔走するキリストのように、私は疲弊し弱くなりますが、そのときにキリストは強く現れるのですね。そして、その日に変えられるのですね。