2020.8.26撮影
「それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。」
出エジプト記 16:10 口語訳
https://www.bible.com/1820/exo.16.10.口語訳
2020.8.26撮影
「それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。」
出エジプト記 16:10 口語訳
https://www.bible.com/1820/exo.16.10.口語訳
継続してトマスの福音書を解説し、意訳しています。
48節
*Said-JS48 this: ()-blessed-ones are the ❶single-ones and ()chosen, > for you(pl)-will-fall to-the-kingdom, for you(pl) (are) of-out of-her; again you(pl)-will-be-going to-there.
48直訳
JS48 「イエスはこう言った:()祝福された者(複数)は❶❸出家者、()選ばれた者である、というのは、あなた方は王国に❹入るだろう、というのは、あなた方は、()❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ行くだろう。」
ここで、コプト語の❶Monaxocは、「❷ひとり」と訳すべきか、「❸出家者(世捨人)」と訳すべきか迷いました。❶Monaxocのギリシア語でのμοναχόςは、❸出家者や修道士を意味します。
もし「❸出家者や修道士が祝福された者」と訳すならば、わかりやすいのですが、新約聖書には、μοναχόςを「❷aloneひとり」と訳すことはありますが、「❸出家者・修道士」と訳す箇所が見つかりません。
そこで、二つの訳を試みました。
48❷ひとり
「イエスはこう言った:()祝福された者は❷ひとりぼっち、()選ばれた者である、というのは、あなた方は王国に❹入るだろう、というのは、あなた方は、()❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ入るだろう。」
48❸出家者(世捨人)
「イエスはこう言った:()祝福された者は❸出家者(世捨人)、()選ばれた者である、というのは、あなた方は王国に❹入るだろう、というのは、あなた方は、()❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ入るだろう。」
この節の後半と似た内容の箇所が、ヨハネ伝にあります。
「わたしは門である.だれでもわたしを通って❹入る者は救われ、また❺入ったり出たりして、牧場を見いだす。」ヨハネ伝10:9(回復訳)
ἐγώ εἰμι ἡ θύρα· δι’ ἐμοῦ ἐάν τις εἰσέλθῃ, σωθήσεται, καὶ ❹εἰσελεύσεται καὶ ❺ἐξελεύσεται καὶ νομὴν εὑρήσει.
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ 10:9 Greek NT: Nestle 1904
トマスの福音書48節では、「王国に❹入るだろう、というのは、あなた方は、()❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ入るだろう。」とあり、王国の(中におり)、❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ入るだろう。ヨハネ伝の「❺入ったり出たりする」と近い意味のようです。
また、「❷ひとりぼっち」や「❸出家者(世捨人)」は、マタイ伝の「狭い門」につながります。
「あなたがたは❻狭い門から入りなさい.崩壊に至る門は広く、その道は幅広い.そして、そこから入って行く者が多い。
命に至る❻門は狭く、その道は細いので、それを❼見いだす者は少ない。」マタイ伝7:13-14(回復訳)
ここでは、「❻門は狭く、それを❼見いだす者は少ない」とあり、崩壊に至る大勢の人々とは違う少数の者が、❻狭い門を見出せるのだと言うことです。
そうすると、狭い門から入る者は、周囲の大勢の人々とは異なり、❷ひとりぼっちや❸出家者(世捨人)のようになるわけです。48節は、そのような周囲(世)に理解されない者を、祝福された者と言っているようです。それは、❷ひとりぼっちの孤独な❸出家者(世捨人)に、あなた方は王国に❹入るだろうと言うのでしょう。
私は、❷ひとりぼっちの孤独な❸出家者(世捨人)と聞いて、サドゥーとなったサンダー・シングを思い起こしています。
❻狭い門の狭さとは、❷孤独な❸出家者(世捨人)になるほどの少数しか入れないものなのでしょうか。それを❼見いだす者は少ないのでしょうか。トマスの福音書17節にもMonaxocが出てきます。そこには、家族の分裂が語られていました。キリストを見出して、家族に殺されかけたサンダー・シングを再度思い浮かべてしまいます。主イエスに従うことが、サンダーのように❷孤独であり、❸出家者のようになるのを示唆しており、その生き方が王国へ続くと言っているのでしょう。サンダー・シングは、霊眼が開かれた者は、祈りの中で地上天、第二天、第三天へと自由に出入りできると示しています。
http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/12/03/223554
意訳してみます。
48意訳
JS48「イエスはこう言った:()祝福された者は❷ひとりぼっちの❸出家者(世捨人)、(彼らは)選ばれた者である、というのは、あなた方は王国に❹入るだろうから。それは、あなた方は、(王国の中にいたが)、❺その外にいる;再び、あなた方はそこへ入るだろう。(❺王国に出たり入ったりするだろうから)」
NHK ハートネットTV「優生思想と向き合う 戦時ドイツと現代の日本(2) 内なる差別」を観ました。
ナチス・ドイツが、ヒットラーの優生思想から、精神障害者や身体障害者に対して行った強制的な安楽死作戦 T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)。
1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は秘密裏に継続されました。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」を短縮したもので、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称。この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し、その後も密かに継続された「野生化した安楽死」や14f13作戦によるものも含めると15万人から20万人以上が犠牲になったと言われています。
専門の安楽死施設は、ハルトハイム、ブランデンブルク、ベレンブルク、ピルナ=ゾンネンシュタイン、ハダマーの6施設がありました。このうちハルトハイムの施設は1944年末まで稼動し、最大の犠牲者を出しました。ハダマーの施設は街中にあり、住民はそこで何が行われているかをうすうす知っていました。
T4作戦は、1941年8月に中止されましたが、その理由は、ミュンスターの司教フォン ガーレンの3回にわたる説教だったのです。
「貧しい人、病人、非生産的な人 いて当たり前だ。私たちは、他者から生産的であると認められたときだけ、生きる権利があるのか?非生産的市民を殺してもいいという原則ができ、実行されるならば、我々が老いて弱ったとき、我々も殺されるだろう。」
ガーレン司教はこれらの説教で、抗議にもかかわらず患者が病院から連行されていったことを述べた上で、「もし精神疾患患者を初めとして、『非生産的人間』を殺害する権利があると認めるなら、それはすべての『非生産的人間』を自由に殺害できることになる。そうなると、誰もが安全ではなくなる。なにかの委員会が『非生産的人間』と判定し、そうすれば『生きるに値しない命』となってしまい、なにも私たちを殺害から守ってくれないからだ」と殺害してよい命を人が定めることは十戒にある「殺してはならない」に反する点、また十戒にある「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という言葉を引き、国家・人種・民族・自然等の偶像化が行われていることを批判しています。また、ガーレン司教は刑法190条による告発も行いました。
一部のナチ党幹部はガーレン司教を死刑にするよう求めましたが、ミュンスター市民への影響を考慮したゲッベルスは慎重論を主張し、総統アドルフ・ヒトラーもそれに応じました。ただしミュンスター教区の下級聖職者の中には逮捕されたものも多く出ており、演説は連合国軍が宣伝ビラでガーレン司教の説教文をばらまいたことで一般にも広く知られるようになり、世論も動揺しました。ローマ教会の最高司教会総会は安楽死政策が認められないという決定を行い、教皇ピウス12世がその決定を広く公布するよう命じました。
T4作戦への批判が高まったことから、1941年8月24日にヒトラーはT4作戦の責任者フィリップ・ボウラーに対して安楽死の中止を口頭で命令し、安楽死政策そのものは公式に中止されました。ハダマーの安楽死施設のガスによる殺害が中止されたのみに過ぎなかったのです。
しかし、ナチスによる独裁政権下で、生命の危険を顧みず、優生思想に反対した司教や市民の声に、ヒトラーもT4作戦を公式にやめざるを得なかったことが、大切な点です。
現代の日本では、植松聖死刑囚と同じ優生思想にSNSで賛同する若者たちがいることがわかります。勉強しない、浅慮な若者が増えたなぁと思っていましたが、若者だけでなく現代の日本人が、他の先進国の持つ良識すら身につけていないのかもしれません。大戦を始め、ユダヤ人大量虐殺を起こしたナチス・ドイツ時代のドイツ国民にも劣る人権意識の劣化がこの国に見えます。この日本の経済的にも貧しく自分たちの生産性の低さすら理解できていない若者が、ナチスと同じ思想を叫び、障碍者の安楽死を肯定するのですから、もはや『百鬼夜講化物語』を見るようです。
知的障害者福祉施設に侵入し、入所者19人を刺殺し、26人に重軽傷を負わせた植松聖死刑囚。
「障碍者は、不幸しか作らない。人に迷惑をかけ、役に立たない人間は、生きる意味がない」と語る植松聖死刑囚。
接見した奥田知志牧師は彼に問いました。「君は、役に立つ人間なのか?」。植松:「あまり役に立たない人間です」・・・。
私は、ヨハネ伝の話を思い出しました。
イエスは、姦淫の場でつかまえた女を石打ち刑で殺そうとする律法学者たちに、「あなたはどうなのか?」と問われ、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と語り、 彼らは石打ち刑を行えず、帰って行ったという箇所がヨハネ福音書 8:4-9 にあります。
「あなたがたの中で生産性のある者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言っているようにも聞こえます。障碍者を殺害したナチスは、自国をはじめ、ヨーロッパ中に廃墟と死をもたらしました。生産性?最も生産性のない連中が、ヒットラーをはじめとするナチスであったのです。人を人とも思わない者たちが、ヨーロッパを廃墟にし、生産性の目的である「人類の幸福」すら奪っていったのです。人を人とも思わない人間こそ、生産性の目的がわかっていない最も生産性の低い破壊者なのでしょう。
ナチスの横暴に声をあげたガーレン司教。破壊者に対して声をあげる次のガーレン司教は、誰なのでしょう。彼の思いを繋ぐ者は、まだこの日本にたくさんいると信じます。
2020.8.15撮影
イエス・キリストの与える平安は、実際に死人もよみがえるキリストの権威による平安です!
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
ヨハネによる福音書 14:27 新共同訳
https://www.bible.com/1819/jhn.14.27.新共同訳
「わたしは平安をあなたがたに残す.わたしの平安をあなたがたに与える.わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるようなものではない。あなたがたは心を騒がせてはならない.恐れてはならない。」ヨハネ伝 14:27 (回復訳)
新共同訳では、平和と訳していますが、どうもイエスが言うεἰρήνηνは、平和と違うようです。
主イエスは、マタイ伝で、平和ではなく剣をもたらすと言っているのです。
「わたしが来たのは地上に平和(εἰρήνην)をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」
マタイ伝福音書 10:34 (回復訳)
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるようなものではない。
ヨハネ伝14:27では「平和」ではなく、「平安」が正しい訳だと思います。
さて、世が与えるような平安ではない平安。心を騒がせるな。おびえるな。〜どんな平安なのでしょうか?
ヨハネ伝16章に、その平安の答えがあるようです。
「わたしがこれらの事をあなたがたに語ったのは、あなたがたがわたしの中で、平安を持つためである。世にあって、あなたがたには苦難がある.しかし、勇気を出しなさい.わたしはすでに世に打ち勝っている」。」ヨハネ伝16:33(回復訳)
世に打ち勝つとは、具体的に何を指すのでしょうか?
Ⅰヨハネ5章に、その示唆があるようです。
5:5世に打ち勝つ者はだれでしょうか? イエスは神の御子であると信じる者ではありませんか?
5:6このイエス・キリストは、水と血を通して来られた方です.水においてだけでなく、水においてと血においてです.そしてその霊は証しする方です.なぜなら、その霊は実際であるからです。
5:7証しするものが三つあります.
5:8それは、その霊と水と血です.そしてその三つは一つとなります。
5:9もしわたしたちが人の証しを受け入れるなら、神の証しはさらにまさっています.なぜなら、これは神が御子について証しされた神の証しだからです。
5:10神の御子の中へと信じる者は、自分自身の中に証しを持っています.神を信じない者は、神を偽り者としています.なぜなら、彼は、神が御子について証ししておられる証しを、信じなかったからです。
5:11これが証しです.すなわち、神がわたしたちに永遠の命を与えられ、そしてこの命が御子の中にあるということです。
5:12※御子を持つ者は命を持っています.神の御子を持たない者は命を持っていません。
5:13わたしがこれらの事をあなたがたに、すなわち、神の御子の名の中へと信じているあなたがたに書き送ったのは、あなたがたが永遠の命を持っていることを知るためです。Ⅰヨハネ5:5-13(回復訳)
神がわたしたちに永遠の命を与えられたという、平安なのですね。
この命は、死んでからの永遠の命ではなく、実は、今生きている現世で実際に打ち勝つ命を言うのだと思っています。現実に死からよみがえる命を言うのです。
敬愛する師の祈りに、主は、死人を蘇らせる奇跡を行いました。文書伝道の森渓川師は、病院の霊安室の死者を蘇らせる奇跡を起こしています。
以下に関連した記事がありましたので紹介させてください。
http://www.tengokujigoku.info/ak2/iki.html
この永遠の命は、現実に復活された主イエス・キリストの証明からわかります。実際に世に打ち勝つ命あふれる主イエス・キリストの勝利を表しているのですね。もはや、世にあるものに、おびえることはないのです。
コロナにおびえることもないのです。※御子を持つ者は平安ですね。
2020.8.10撮影 市内の向日葵
「エホバの目は全地をあまねく行き巡り、心が完全に(安全に、安心して、平和に)彼に向いている者たちを強めます。あなたはこのことで愚かに行動しました.この時から、あなたに戦争があるでしょう」。
歴代誌下 16:9 (回復訳改)
「主よ、あなたの敵はみなこのように滅び、 あなたを愛する者を 太陽の勢いよく上るようにしてください」。 こうして後、国は四十年のあいだ太平であった。
士師記 5:31 (口語訳)
https://www.bible.com/1820/jdg.5.31.口語訳
戦争か平和か!その境界は、われわれの心にある。