神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

キリスト処刑の日は、西暦30年4月7日

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国立天文台が、皆既日食月食からキリストの十字架刑の日を特定したという面白い記事を見つけましたので、ここでシェアさせてください。

ソース:

http://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/history6/24Soma.pdf

 

キリスト処刑の日の特定
Determining the Crucifixion Date of Jesus Christ
相馬 充,谷川清隆 (国立天文台) 佐藤洋一郎,谷川惠一,落合博志 (人間文化研究機構)
Mitsuru SÔMA, Kiyotaka TANIKAWA (National Astronomical Observatory of Japan)
Yo-Ichiro SATO, Keiichi TANIKAWA, Hiroshi OCHIAI, Kazuaki YAMAMOTO (National Institutes for the Humanities)
要約:新約聖書にはキリスト処刑の直前に皆既日食月食があったことを暗示する記述が ある.これらを根拠として,キリスト処刑の日が西暦30年4月7日になることを示す.
1. はじめに
キリスト処刑は,聖書の記述から,ピラト(Pontius Pilate)がユダヤ総督であった西暦
26~36年で,ニサン月(ユダヤ教暦の第1月,現在の暦の3~4月に当たる)14日または15日 の金曜日とされ,これを満たすのは西暦30年4月7日か西暦33年4月3日のいずれかとされて いる(Finegan, 1964; Humphreys & Waddington, 1992).聖書には,さらに,キリスト処 刑の直前に日食や月食があったことを暗示する記述もある.Humphreys & Waddington (1992)はエルサレムでキリスト処刑の日に月食があったとの仮定のもとに,キリスト処刑 の日は西暦33年4月3日であると結論づけた.本論文では,彼らの推論に欠陥があることを 述べ,実際の処刑の日は西暦30年4月7日であることを示す.また,聖書で暗示されている 皆既日食月食の日付はそれぞれ,西暦29年11月24日と同年12月9日であることが明らか になる.
2. Humphreys & Waddington(1992)の推論 新約聖書福音書は4つある.マタイ(Matthew)・マルコ(Mark)・ルカ(Luke)・ヨハネ
(John)による福音書である.このうちの3つに,キリストが処刑される直前に皆既日食が あったことを暗示する記述がある.たとえばルカによる福音書(Gospel According to Luke)の第23章第44-46節には
44時はもう昼の12時ころであったが,太陽は光を失い,全地は暗くなって3時に及んだ. 45そして聖所の幕がまん中から裂けた.46そのとき,イエスは声高く叫んで言われた, 「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」.こう言ってついに息を引きとられた.
とある.マルコとマタイによる福音書の記述もほぼ同様である.もう1つのヨハネによる 福音書には日月食の記述はないが,新約聖書の最後の書であるヨハネの黙示録 (Revelation to John)の第6章第12-13節には
12子羊が第6の封印を解いた時,わたしが見ていると,大地震が起って,太陽は毛織の 荒布のように黒くなり,月は全面,血のようになり,13天の星は,いちじくのまだ青 い実が大風に揺られて振り落とされるように,地に落ちた.
とあり,「太陽は毛織の荒布のように黒くなり」は日食を,「月は全面,血のようになり」 は月食を表している可能性がある (皆既月食または皆既月食に近い部分月食で本影中の 月は赤黒く輝く).ただし,これらの記述の前後にキリストの処刑の記述はない.新約聖 書の4つの福音書に続く5つ目の文書である使徒言行録(Acts of the Apostles)の第2章第

14節以下には
14すると,ペトロは十一人と共に立って,声を張り上げ,話し始めた.「ユダヤの方々, またエルサレムに住むすべての人たち,知っていただきたいことがあります.わたし の言葉に耳を傾けてください.15今は朝の九時ですから,この人たちは,あなたがた が考えているように,酒に酔っているのではありません.16そうではなく,これこそ 預言者ヨエルを通して言われていたことなのです.17『神は言われる.終わりの時に, わたしの霊をすべての人に注ぐ.すると,あなたたちの息子と娘は預言し,若者は幻 を見,老人は夢を見る.18わたしの僕やはしためにも,そのときには,わたしの霊を 注ぐ.すると,彼らは預言する.19上では,天に不思議な業を,下では,地に徴を示 そう.血と火と立ちこめる煙が,それだ.20主の偉大な輝かしい日が来る前に,太陽 は暗くなり,月は血のように赤くなる.21主の名を呼び求める者は皆,救われる.』(中 略) 36だから,イスラエルの全家は,はっきり知らなくてはなりません.あなたがた が十字架につけて殺したイエスを,神は主とし,またメシアとなさったのです.」
とある.Humphreys & Waddington (1992)はこの第20節の「月は血のように赤くなる」を 月食とし,第17節の「終わりの時」はキリストの降臨を,第20節の「主の偉大な輝かしい 日」はキリストの復活を表すなどと解釈して,キリスト処刑の日の夕刻に月食があったと した.西暦26~36年の3~4月にエルサレムで夕刻に月食が見られるのは西暦33年4月3日の みであることから,彼らはキリスト処刑の日をこの日と結論した.
Humphreys & Waddington (1992)の推論を調べてみる.まず,その論文の Table 3 には 西暦26年から36年までの間にエルサレムで見えた月食の日付・曜日・食分・月食開始時刻 が書かれている.食分(Magnitude)の説明には「Fraction of the area of the Moon covered at the midpoint of the eclipse」(食の最大時に影に覆われた部分の面積の割合)という 説明があるが,これは間違いである.計算で確認したところ,これは通常の食分の意味で, 月の視直径(月中心と影中心を結ぶ線に沿ったもの)中の欠けた部分の割合である.また 「15 Aug, AD 26」の日付は誤りで,正しくは「16 Aug, AD 26」である.曜日は 16 Aug, AD 26 の曜日である「Friday」となっているから,日付のみの誤植である.
月食の予報を計算するには月の暦とΔT(=TT-UT)の値が必要である.ここで TT は一 様に進む地球時,UT は地球の自転角に基づく世界時である.Humphreys & Waddington (1992)が引用しているStephenson and Morrison (1984)では月の暦としてBrownの理論に 基づくj=2 (IAU 1968)に月平均黄経の潮汐加速を-26”/cy2とする補正を行ったものを用 い,ΔT の計算式も同論文に与えてあるので,それらを用いて月食の時刻を計算してみた. その結果を表1に示す.Humphreys & Waddington (1992)は計算に用いたエルサレムの経緯 度を与えていないが,ここではエスサレム中心部と考えられる東経35°13′,北緯31°47′を 用いる.時刻は地方視太陽時 (観測地における太陽の正中時を12時とする,日時計の示す 時刻) である.より新しい月の暦であるアメリJPL の DE406 を用いて計算した場合 (ΔT の値には同じ値を使用)と今回の計算値を比較すると,時刻の差は5分以内,食分の 差は0.03以内である.
表1から分かるように,Humphreys & Waddington (1992) の与える月食開始時刻の誤差 は最大10分,食分の誤差は最大食分が地平線下で見えない場合を除いて0.03以下で,計算 誤差はほとんど無視できることが分かる.しかし次に議論するように,彼らがキリスト処 刑の日とした西暦33年4月3日の月食の見え方に関する彼らの解釈には大きな問題がある.
3. Humphreys & Waddington(1992)の推論の問題点 前節で述べたように,西暦33年4月3日にエルサレム月食が見られた.Humphreys &
Waddington (1992) はその月食のためエルサレムでは月が赤く見え,その直後にキリスト を処刑したとすると聖書の記述と合うため,この日をキリスト処刑の日と断じた.しかし, この月食エルサレムでは月出帯食で,月出の18:17には食の中心を過ぎており,食分0.26 で,その時は空も明るく,月の欠けた部分も赤くは見えない.月食の終わりは18:55で高 度7°だから,空はまだ明るく,食の終わりまで月が赤く見えることはない.Humphreys &

Waddington (1992) は西暦1982年7月5日の月食の図 (Dennis di Cicco, 1982) を参照し て,食分の小さい部分月食でも欠けた部分は赤く見えることがあると主張しているが,そ の図でも食分が0.2前後の部分月食では欠けた部分が赤くは見えていない.
これに関して Humphreys & Waddington (1992) は “The ancients made no distinction between the umbral and penumbral shadows and to a casual observer about 60 percent of the moon’s disc would have been perceived as being ‘in eclipse’ at moonrise.” (古 代人は本影と半影を区別しなかったので,その月食は月没時に月の約60%が欠けていたと 認識したはずだ) と述べているが,これも全くの誤解である.月食を観測したことがある 人なら容易に分かるはずだが,月食の際の月に落ちる半影はほとんど認識できないもので ある.
表1. 西暦26~36年にエルサレムで見られる月食
(「食分」は食の最大時のもの,括弧をつけた時刻と食分は地平線下の現象で観測不 可であることを表す.「<開始>」と「<食分>」は Humphreys & Waddington (1992) が 与える月食開始時刻と最大食分)
年/月/日(曜) 26/08/16(金) 27/12/31(水) 29/06/14(火) 29/12/09(金) 31/04/25(水) 31/10/19(金)
33/04/03(金)
33/09/27(日)
35/02/11(金)
ΔT(s) 開始 9618 23:20 9601 23:31 9583 20:33 9577 21:07 9560 21:41 9554 04:59
9536 (15:54) (17:18) 18:41 (0.553) ----- 60% 月出18:17,その時の食分0.26で,これが観測可能な最大食分
9530 04:58 (06:25) (07:53) (0.826) 04:53 85% 月没05:57,その時の食分0.70で,これが観測可能な最大食分
35/08/07(日) 36/01/31(火)
9521 05:02 06:21 (07:39) 0.554 最大食の後に月没06:38,その時の食分0.52
9506 20:26 21:51 23:15 0.604
04:55 55%
20:18 60%
最大 24:36 24:54 22:21 22:21 22:45 05:58
終了 食分 25:52 0.479 26:16 0.713 24:09 1.446 23:34 0.423 23:49 0.370
<開始> <食分> 23:10 50% 23:27 70% 20:27 Total 20:55 45% 21:35 35% 04:49 25%
(06:57) 0.268 最大食の後に月没06:22,その時の食分0.22
9500 (16:42) 18:29 20:16 1.822 月出17:13,その時の食分0.49,その後に皆既食が起こる
----- Total 36/07/26(木) 9494 22:23 24:21 26:19 1.697 22:14 Total
4. キリスト処刑の日 ヨハネ福音書には日食・月食地震が出てこない.一方,ヨハネの黙示録には地震
日食・月食の順で自然現象が(同じ日に起きたかのように)記述されているが,これらの記 述の前後にキリストの処刑は記述されていない.そして,マルコとルカの福音書では処刑 の時に日食が起きたという.
これらを総合して考えると,実際には日食・月食の(何日あるいは何カ月か)後に処刑が 行われたのだが,そのことが後の世に伝わる間に上記のように,混乱が生じて記述された とするのが妥当だろう.そこでエルサレムで見える日食・月食(日食はエルサレムで皆既 になり,月食は赤く見える)とニサン月14日の金曜日が数カ月以内に起こるものを探すと, 唯一,次のものが見つかる.
西暦29年11月24日:皆既日食(開始10:25,最大11:51,終了13:21)
西暦29年12月 9日:部分月食(開始21:18,最大22:34,終了23:49で最大食分0.45) 西暦30年 4月 7日:ニサン月14日の金曜日
日食と月食の時刻は,西暦29年11月24日にエルサレム皆既日食が見られるΔT の条件 8569s < ΔT < 8949s
の範囲の中間値 ΔT = 8760s として求めた地方視太陽時である.この場合,皆既日食

継続時間は食の最大を中心とする2分弱である.ΔT の値を上の不等式で示される範囲で 変化させても日食と月食の時刻は±5分以内で前後するだけである.第2節で述べたように, ルカ・マルコ・マタイの3者による福音書には「時はもう昼の12時ころであったが,太陽 は光を失い,全地は暗くなって3時に及んだ.」ということを意味する記述があった.昼の 12時ころに皆既日食があったというのは,上記の計算に一致し,「3時に及んだ」というの も日食の継続時間が3時間に及んだという事実がそう伝わったとすれば,上記の計算に一 致する.また,西暦29年12月9日の部分月食も22:34に最大食分0.42であるから,月の欠け た部分は赤く見えたはずで,使徒言行録にあった月が赤くなったという記述に合っている. ヨハネの黙示録にあった「月は全面,血のようになり」とは合わないが,月の一部が赤く なったものが伝聞によりこのように誇張されて伝わったものと思われる.
Fotheringham (1920) によると,神学者で歴史家でもあった4世紀の Eusebius は Tralles に住んでいた2世紀の作家 Phlegon が残した日食の記録について次のように記 述している(英訳は Fotheringham, 1920).
And Phlegon also who compiled the Olympiads writes about the same things in the thirteenth book in the following words: ‘In the fourth year of the 202nd Olympiad (32-33 A.D.) an eclipse of the Sun took place greater than any previously known, and night came on at the sixth hour of the day, so that stars actually appeared in the sky; and a great earthquake took place in Bithynia and overthrew the greater part of Nicæa.’
Fotheringham (1920) はこの日食を西暦29年11月24日のものと同定した.彼によると,こ の同定は Kepler が最初に行ったとのことである.これは “In the fourth year of the 202nd Olympiad” という記録の3年前であるが,Stephenson (1997) も確認しているよう に,記録にある日食と同定できるものは西暦29年のこの日食以外にない.この日食が観測 された場所については Fotheringham が地震が起きたとされる Nicaea (東経29°36′, 北緯40°25′) と仮定したが確実性は低いとしていた.これを記録した Phlegon は Tralles (東経27°51′,北緯37°51′) に住んでいたが,日食が起きた100年以上後に書 かれたもので,その日食が Tralles で起こったものという保証はない.この Phlegon の 日食の記録は「正午ころに夜のようになった」,「大地震が起こった」との記述もあり, これらは聖書の記述に一致している.つまり,Phlegon は聖書に書いてある情報をどこか から得て上記の記録を記述した可能性が高いと考えられる.したがって,西暦29年11月24 日の皆既日食エルサレムで見られたと考えるのが妥当であろう.
Report of Pontius Pilate という新約聖書外典 (アポクリファ) には
彼が十字架に架けられた時,昼にもかかわらず地球全体に暗さが広がり,太陽は完全 に隠れ,空も暗くなって星が現れた.(中略) そして月は血のようになり,満月であ ったが一晩中は輝かなかった.そして星たちもオリオンも,ユダヤ人たちによってな された邪悪のために彼らについて嘆き悲しんだ.
外典に書かれた内容は福音書ほどは信用されていないが,それでも一部に真実が残されて いる可能性はあろう.ここに引用したものは,キリストが十字架に架けられた前後に起こ った月食では近くにオリオン座が見えていたことを表していると考えられる.図1は西暦 29年12月9日の月食時にエルサレムで見る星空で,この時は月食中の月の近くに確かにオ リオン座があった.一方,Humphreys & Waddington (1992) が提案していた西暦33年4月3 日の月食では,月食中の月が東の空にあったのに対して,オリオン座は反対の西の空にあ り,オリオン座を月食と関連づけるのは不自然な状況と言えよう.
5. 結論 皆既日食月食の後のニサン月14日の金曜日にキリストが処刑されたという新約聖書
の記述から,キリスト処刑の日は西暦30年4月7日であることが明らかになった.

参考文献
Dennis di Cicco, 1982, “Observer’s Page, More About July’s Lunar Eclipse”, Sky and Telescope, 64, 390-393.
Finegan, J., 1964. Handbook of Biblical Chronology, Princeton University Press, Princeton, pp.295-296.
Fotheringham, J.K., 1920. “A Solution of Ancient Eclipses of the Sun”, Mon. Not. R. Astr. Soc., 81, 104-126.
Humphreys, C.J. and Waddington, W.G., 1992. “The Jewish Calendar, a Lunar Eclipse and the Date of Christ’s Crucifixion”, Tyndale Bulletin, 43.2, 331-351.
IAU, 1968. Trans. Int. astr. Un. 13B, 48.
Stephenson, F.R. and Morri- son, L.V., 1984. “Long-term Changes in the Rotation of the Earth: 700 B.C. to A.D. 1980”, Phil. Trans. R. Soc. Lond., A313, 47-70.
Stephenson, F.R., 1997. His- torical Eclipses and Earth’s Rotation, Cam- bridge University Press, Cambridge.
図1. 西暦29年12月9日の月 食時にエルサレムで見る星 空
図2. 西暦33年4月3日の月食 時にエルサレムで見る星空