「教会に足を踏み入れるとハッとしました。イエスがおられると感じられる空気がありました。」と話す方がいます。
なぜ、何千人もの若者がテゼに集い、ヨーロッパ大会では数万人もの若者が集まるのか。その答えが上の一言にあります。
「イエスがおられると感じる」。
慕わしい主に会えるのです。ご臨在です。I am who I am. 主の名前は「わたしは在る」でしたね。(出エジプト3:14)
日本でも、カトリックではなくても礼拝にテゼを取り入れている教会があります。大勢の人で満席でした。賛美礼拝、テゼでも、霊歌でも、礼拝の深みにご臨在があれば人々は天国を感じます。「幸なるかな心空しき者」。心を空にし主に飢え渇き、賛美しつつご臨在を待てば、主はやってきてくれます。
「しかし、あなたは聖であって、イスラエルの賛美の上に座しておられます。」(詩篇22:3回復訳)
教会復活の鍵は、「賛美の上に座しておられるYHWH」にあるようです。モーセに伴われたように、われらとともに「在りて在る方」に出会うこと。
主のご臨在こそが正解です。