神の至聖所 ~聖書とキリストの啓示より~

 神の臨在(至聖所)の中で開かれる聖書の啓示を紹介します。聖書の日本語訳に疑問を持ったのを切掛けに、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教などに学び、終末預言や聖書解釈の記事も載せていきます。栄光在主!

❤️栄化への実践2 〜十字架を負うとは

マタイ16章より

16:21この時からイエスは弟子たちに、ご自分が必ずエルサレムへ行って、長老、祭司長、聖書学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活させられることを、示し始められた。
16:22するとペテロは、イエスをわきへ引き寄せ、いさめ始めて言った、「主よ、神があなたをあわれんでくださいますように!そのようなことは、決してあなたに起こるはずはありません!」
16:23イエスは振り返ってペテロに言われた、「サタンよ、わたしから退け! あなたはわたしをつまずかせるものである.あなたは❶神のことを思わないで、人のことを思っている」。
16:24それから、イエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい
16:25自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために❸自分の魂の命を失う者は❹それを見いだす
16:26人が全世界を手に入れても、自分の魂の命を失ったなら、何の益があるだろうか?人は自分の魂の命と引き換えに、何を与えることができるだろうか?
16:27なぜなら、人の子は彼の父の栄光の中で、御使いたちと共に来るが、その時それぞれに、行ないにしたがって報いられるからである。(回復訳)

 

長尾弘先生や横塚修身先生は、宗教や組織と関係ない立場で癒し行脚をして人々を助けています。図らずも、横塚先生の証の中に、栄化の重要なヒントがありますので、あえてそのままでシェア掲載させてください。

〜横塚修身先生のお話より〜

「神のお出まし」

昨日、16:00にハワイから帰国し、21:00に福岡へ・・・・・。

ハワイと日本の時差は17時間だから、ハワイにいたらこの時刻は前日の夜中の2時ということになる。

17日は炎天下のアラモアナのマジックアイランドで50人近くの方の癒しをし、18日は9時間のフライトで成田着。

そして、そのまま国内線に乗り換えて福岡へ。
到着後は福岡の病院のホスピス病棟へ。

体はもう極限状態。

しかし、
この極限状態こそがシメシメ😄、なんです。

ここからは長尾弘先生のお話。

人様の為に無償の愛の実践をして、体を酷使すると魂が喜んでくれるのです。人様の為に肉体を使い、やがて限界を超えた時、心の奥底から真(まこと)の神がお出ましになられます。その時、病気の方に「治りなさい❗」
「痛みは消えなさい❗」
と言って体に命令すると、即座に病気は治り、痛みは消えるのです

「それはなぜか?神が癒しをなさるからです」

「もう疲れた。もうこれ以上はムリ、出来ないもん」
とそう思うことがよくあります。

私たちは普通、ここで休憩をしたり、寝たりしますね。

でもそれではダメだということが長尾先生のお話を聞いて理解出来たのです。

もうダメだ・・・・・。

でも、ここからなんです。
ここからが大事なんです。

この限界を越えた時に本当の神がお出ましになられるのですから・・・・・。

実は昨夜、神にお出まし頂きたかったのです。

と言うのは・・・・・・、

福岡の病院では、末期のがん患者さんが私の帰りを待ち焦がれておられるのです。

この方は56歳になるM子さんで、末期の大腸がんだそうです。

ハワイに飛び立つ寸前、成田でフライトを待っている時にM子さんから電話がありました。

癒しを受けたいので福岡へ来て頂きたいと。

今日、明日の命だそうです。

暫し余談ですが、

現代医学はその限界を超えた時、患者をホスピスに送るケースが往々にしてあります。

「医師として精一杯手を尽くしましたがこれ以上はムリです。だから貴女はあの世へ帰る為の心の準備をして下さい」

はっきり言って、それがホスピスの実体ではないでしょうか。

これまでに何回もホスピス病棟へ行きました。
この2ヶ月だけで3回もです。

医に携わる人間として、その現実を客観視するとよく見えます。

ホスピス制度について言いたいことは山ほどあります。

矛盾を感じることは山ほどあります。

でも今はその事は措き、話を元に戻します。
電話口でMさんは言われました。

「先生がハワイから帰って来られる迄、何とかして生きてます。ですから帰って来られたら私を助けて下さい」

「分かりました。貴女がそれを望まれるのでしたら、ハワイから帰ったらすぐに飛んで行きます」

M子さんに帰国したらすぐに福岡へ行くことを約束してハワイへ飛び立ち、現地では大勢の方の癒しをさせて頂いたのは日本時間18日のことでした。

朝9時から16時まで一生懸命・・・・・・、

そう、
一生懸命やって。肉体の限界を越えなければならなかったのです。

神との遭遇、の為に・・・・・。

M子さんの命の炎が今まさに燃え尽きようとしている。

残り少ない命、

その命を一日一日精一杯生きて、私の帰りを一日千秋の思いで待ち焦がれておられるM子さんに神の癒しを受けて頂きたい。

その為には肉体の限界を越えなければならない。

昨日の昼にホノルル空港を飛び立ち、成田に着くまでの9時間のフライトでは一睡もせずにいました。

「寝てはならぬ」のです。

福岡に到着後、佐賀在住の友人の塚原先生のお出迎えで病院へ直行したのは10:時半頃。

M子さんが待つホスピス病棟の病室に入りました。

痩せ衰えた体をベッドに横たえたているM子さんの手をしっかりと握りしめて言いました。

「お待たせして申し訳なかったです。でも、やっとお会いすることが出来ましたね。もう大丈夫ですよ」

そう言うとM子さんの目から一筋の涙が流れ、細々とした小さな声で、

「先生のお帰りを待っていました・・・・」

傍らにはご主人と娘さんかその様子を見ておられました。

暫し病状を伺った後に癒しをさせて頂きました。

がんが治るように神に祈り、長尾先生に祈りました。

胃と内臓諸器官を元の正しい位置に戻した後にがん細胞に話しかけました。

「がん細胞よ、あなたの存在は認めます。
あなたを排除しようとはしませんが、あなたはご主人の体の中で災いを起こしてはなりません。あなたは自然治癒力に従いなさい。自然治癒力とは神そのものです。あなたは神との約束を果たしなさい。そして、がん細胞は健康なる細胞集団として変化しなさい。変化は神の法則です」

言い終わると、M子さんの顔色はみるみる良くなり、頬に赤みがさしてきました。

次に、
病魔に離れて頂く為に浄心療法をしました。

「この方に依存しておられる見えない世界の方や他の方のネガティブな想念、或いは自らが作り上げたネガティブな想念、これを病魔と申し上げています。その病魔さんはこの方から離れなさい」

こう語りかけること、およそ10分。

すべての療法か終わった後、M子さんの肉体は見違える程に変化か起きたようでした。

M子さん曰く
「体がフワフワして軽いです」と・・・・・・。

私(横塚先生)曰く
「私の体は重くなったんですけど・・・・😄」

神がお出ましになられたに相違ない。

神はその愛の深さゆえに、御姿を隠されたそうな。

だから神の存在を知ることが出来ないのが私たち人間の本質だそうです。

しかし、肉体の限界を超えたその時にお出ましになられるそうです。

「私はここに居るよ」と・・・・・。

病室を後にして友と遅い夕食を済ませて、空港近くのホテルにチェックインしたのは24時。

25時にベッドに潜りこんだものの、寝れないの。

寝れないのはシメシメ😄

「寝てはならぬ」・・・・・。

今日、これから又ホスピス病棟へ行ってM子さんとお会いすることになっています。

体はキツイ❗

でも、きっと又神さまとお会い出来るに違いない。〜以上〜

自分の肉体は、疲れて眠い極限状態にあるとき、自分の思いを優先すれば、23節「あなたは❶神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われるでしょう。先生は、人の常識にとらわれずに、❶神のことを思って生きることを気にかけていたのがわかります。
24節-25節「だれでもわたしについて来たいと思うなら、❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」と言われます。「自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために❸自分の魂の命を失う者は❹それを見いだす」とも言っているのです。

❷自分を否み、自分の十字架を負い、わたしに従って来なさい」の実践が、期せずして長尾弘先生や横塚修身先生の姿に映し出されているのがわかります。神学的議論は別にして、その姿勢は、十字架を負う姿です。十字架の実践のニアンスを掴んで、「神さまが現れる」実体験を我々も積むべきだと思います。

その秘訣は、長尾先生の話からわかります。「人様の為に無償の愛(❶神の思い)の実践をして、体を酷使する(❷自分を否み、自分の十字架を負う)と魂が喜んでくれるのです。人様の為に肉体を使い、やがて限界を超えた時(❸自分の魂の命を失う者は)、心の奥底から真(まこと)の神がお出ましになられます(真の❹魂の命を見いだす)。その時、病気の方に「治りなさい❗」
「痛みは消えなさい❗」
と言って体に命令すると、即座に病気は治り、痛みは消えるのです」

神の思いに従って肉体の限界を超えたとき、神が表に現れて奇跡がついてくるのですね。主イエスも、枕するところもなく、癒しのわざに励む生涯でした。実践の中で自分の栄化を求めることも方向は正しいのですが、❶神のことを思うことが、優先されるとき神が現れるのでしょう。

ローマ‬ ‭8:13

肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。( ‭新共同訳‬‬)
無償の癒しを行いながら先生たちは、期せずして、それを体感していたのでしょう。

そして、不思議なことに、その働きがとても楽しく幸福なことだそうです。パウロも弱さの中で喜んでいると言っていました。なぜなら、わたしたちは弱い時にこそ、強いからです。

Ⅱコリント12:10

こういうわけで、わたしはキリストのために、弱さの中で、侮辱の中で、貧困の中で、迫害と苦悩の中で、十分に喜んでいます.なぜなら、わたしは弱い時にこそ、強いからです。(回復訳)

ローマ6:19

わたしはあなたがたの肉の弱さのゆえに、人の言葉で語ります。あなたがたは、自分の肢体を奴隷として不潔と不法にささげて不法に至ったように、今や自分の肢体を奴隷として義にささげて、聖別に至りなさい。(回復訳)

ヨハネ15:8

あなたがたが多くの実を結ぶことで、わたしの父は栄光を受けられ、こうしてあなたがたはわたしの弟子となる。(回復訳)

ローマ8:17

そしてもし子供であるなら、相続人でもあります.すなわち、わたしたちが彼と共に栄光化されるために、彼と共に苦しむなら、わたしたちは神の相続人であり、またキリストと共同の相続人です。(回復訳)

アテフ  メシュレキー 師の語られたArt of sufferingの考えに近いものだと思います。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2017/04/20/225934

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/05/01/025240

魂の命について

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/01/08/141116

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2019.4.17撮影

❤️栄化への実践1 〜ともし火を掲げ続けよ SS26

    マタイ伝6章で主イエスが語られた「❶単一の目」について、このブログで何度も説明してきました。最近、ルカ伝で示された「ともし火を掲げる」ことから、全身が光に満ちる「栄化」についてのレーマを紹介してみます。私見ですが、実際に体験すると、とても軽やかで爽快です。天国の御座を見つめ続けることで、この世の煩いが減っていくように感じます。

    この内容が正しいかどうかは、ご自身で決めてください。

    ルカ伝11章にも❶単一の目について主イエスが語られた箇所があります。しかし、以前にも語ったように、日本語訳聖書で「単一」と訳しているものは、回復訳しかないのです。回復訳以外では、ものみの塔の新世界訳が「純一」と直訳に近い訳をしております。

《日本語訳聖書》

11:34あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。(口語訳‬‬)

11:34あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。(新共同訳‬‬)

11:34からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。(新改訳)

11:34汝の身の燈火は目なり、汝の目正しき時は、全身明るからん。されど惡しき時は、身もまた暗からん。(大正改訳)

11:34体の明かりは、その目です。だから、あなたの目が純真である時は、あなたの全身も明るいが、それが邪悪なものとなるとたん、あなたの体も暗くなります。(TR日本語訳)

11:34体のともしびはあなたの目です。あなたの目が純一なときには,あなたのからだ全体もまた明るくなります。しかし,それがよこしまなときには,あなたの体もまた暗くなります。(新世界訳)

 

ルカ伝11章(回復訳)

33❷ともし火をつけた後、それを穴蔵や升の下に置く者はいない.入って来る人にその光が見えるように、❸燭台の上に置く。
34あなたの❹目は体の❷ともし火である。あなたの目が❶単一であるなら、あなたの❺全身も光に満ちる.しかし、目が悪ければ、あなたの体も暗い。
35だから、❻あなたの内にある光が、暗やみにならないように用心しなさい。
36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がないなら、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちる」。(回復訳)

 

   この❶単一の目について、サンダー・シングは、以下のように語っています。

サンダー・シングの話〜

「天界では、肉眼によってではなく、❶霊眼によってものを見る。わたしは、この❶霊眼が、肉体を離れ去った後で、誰もが使うものであると言われた」。

    天界の中央は❼キリストである。キリストが中央にありながら、どこに行ってもそこにいると言う。*「神の中心はすべてにあり、神の円周はどこにもない」とのべた聖ボナヴェントゥラ(1221-1274)は、天界を垣間見たに違いない。「御座のキリストが常に中央にある。それは言語に絶するほど神聖な御姿である。恍惚(エクスタシー)の際にわたしが拝したその御姿は、わたしが回心の時に見た御姿と全く変わらなかった。主は、御血の流れる傷跡を今もお持ちである。傷は醜くなく、美しく❽栄化されている。御顔にはひげがあり、長いひげは黄金のよう、輝く光線のようである。御顔は、照り輝く太陽のようである。しかし、その光はわたしを幻惑させることはない。優しい御顔である。常に微笑み、愛らしく輝く笑みを湛えられている。恐ろしい御姿では決してない。

    キリストの御座の周囲には、輝かしい霊的存在者たちの大群衆が、どこまでも広がっている。聖徒たちもいれば、天使たちもいる。その違いを見分けることができない。違いは重要ではない。われわれは皆一つである、と彼らはわたしに語った。彼らは皆、キリストの弟のように見える。彼らは皆❽栄化されているが、主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしい。また彼らは栄光の度合いに違いがあり、それは色の違いにも似たところがあるが、それほどはっきりしたものではない。

    そこでは、この世界よりはるかに多くの色がある。その美しさと比べれば、ダイヤやその他の宝石さえも色あせる。わたしに語りかける時、彼らは一瞬のうちにわたしの心の中に思いを注ぎ込む。それは、地上において、相手の話そうとすることが、話す前からわかるのにも似ている。わたしは、霊界の言語を学ぶ必要はなかった。体を離れてあの世界に入るとき、われわれはいとも容易に、ごく自然にその世界の言語を話し始める。それは、新生児がこの世に生まれ出る瞬間に、全く未経験であるにもかかわらず、すぐさま呼吸をし始めるのと同じである。〜サンダー・シング「Visions of the Spiritual World (London: Macmillan, 1926).聖なる教え」より

ルカ伝11章では、

33❷ともし火をつけた後、それを❸燭台の上に置けと言っています。34あなたの❹目は体の❷ともし火です。あなたの目が、天国のキリストを見つめ、その見つめる先が❶単一であるなら、あなたの❺全身も光に満ちると言っています。天国の会衆は皆❽栄化されていて、主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしい。その光を反映するのです。

    同じように、36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がないなら、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちるのです。❷ともし火は、天国とつながる一つの目です。

    また、啓示録21章では、小羊(イエス)が❷ともし火であると言っています。

21:23都の中では、太陽も月も輝く必要がない。神の栄光がそれを照らし、❼小羊がその❷ともし火だからである。(回復訳)

    キリストの御座の周囲には、輝かしい霊的存在者たちの大群衆が、どこまでも広がっているとサンダーが言っているように、❶単一の霊眼で❾光輝く❷ともし火なる❼キリストを見つめることで、❺全身が光に満ちて❽栄化へと近づくのです。

そのための心がけをこのルカ伝11:33で言っているのです。❷ともし火=❶単一の目=❼小羊キリストを、入って来る人(人々)にその光が見えるように、燭台の上に置くこと。

❶単一の目(霊眼)を開いて、❼小羊キリストの栄光の光を上に置く生活で、皆❽栄化されています。主の❾栄光は、彼らよりもはるかに輝かしいので、36あなたの❺全身が光に満ちていて、暗い部分がなくなり、❷ともし火の光があなたを照らす時のように、全体は光に満ちる❽栄化が進んでいくのです。

    敬愛する師は、❶単一の目=霊眼は、眉間にあると言っていました。私は、眉間よりも上の前頭葉にあると感じます。そこ(霊眼)から、天国の門を開いて、主の栄光の光を常時頂いて生きることで、❺全身が光に満ちてきます。

また、啓示録(黙示録)1:20に❸燭台とは、召会(エクレシア)であると言っています。

啓示録1:20あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の❸燭台の奥義はこうである。七つの星は七つの召会(エクレシア)の➓使者たちであり、七つの❸燭台は七つの召会(エクレシア)である。(回復訳)

    ルカ11:33で、入って来る人(人々)にその光が見えるように、❸燭台(エクレシア)の上に❷ともし火(=❶単一の目=❼小羊キリスト)を置くとは、どういうことでしょうか。

回復訳啓示録1:20フットノート1にこうあります。

「➓使者たちは、諸召会の霊的な人たち、イエスの証しのために責任を担っている人たちです。彼らは星のように天的性質の者であり、天的立場にあるべきです。使徒行伝と書簡で、長老たちは地方召会を運営する指導者でした(使徒14:23.20:17.テトス1:5)。長老職は幾らか公式のものですが、本書が書かれた当時、召会の中の職務は、召会の堕落のゆえに低下していました。本書で主は、霊の実際に戻るようにと、わたしたちの注意を呼び起こされます。ですから本書は、長老よりも召会の使者たちを強調します。長老たちの役目は容易にわかります。しかし信者たちは、正当な召会生活のために、使者たちが霊的で天的な実際を備える必要があることを見るべきです。彼らは召会の堕落の暗黒の中で、イエスの証しとなるのです。本書の最初のビジョン、諸召会に関するビジョンの中で、キリストと諸召会の使者たちは、かつてないほど、また最も特別な方法で、諸召会について開かれています。このために、信者たちは彼らの霊の中で、特別なビジョンを見る必要があります。」〜以上、抜粋〜

 

    ➓使者の使命は、霊的で天的な実際を備える必要があり、彼らは召会の堕落の暗黒の中で、イエスの力強い証しを行います。啓示録の最初のビジョン、諸召会に関するビジョンの中で、キリストと諸召会の使者たちは、かつてないほど、また最も特別な方法で、諸召会について開かれています。このために、信者たちはエクレシア(集まり)で(天国を見る霊眼が開かれた)彼らの霊の中で、特別なビジョンを見る必要があります。

天国の門が礼拝や集会中に開かれることで、入って来る人(人々)にその光が見えるように、❸燭台の上に置くのです。それは、天国のキリストを見つめる❶単一の目を開き続け、高く掲げ続けることで、個人では全身が明るくなり、❸燭台=召会(エクレシア)では主の栄光が照り輝くことになるのでしょう。

Ⅱコリント3:18

しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄光を見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますが、それはまさに霊なる主からです。(回復訳)

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2018/09/30/073208

 

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2016/06/18/091524

 

 

 

 

朝のご臨在 〜4月1日

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2019.4.1撮影

「主は天を傾けて降り/密雲を足もとに従え ケルブを駆って飛び/風の翼に乗って行かれる。 周りに闇を置いて隠れがとし/暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。 御前にひらめく光に雲は従い/雹と火の雨が続く。」
‭‭詩編‬ ‭18:10-13‬ ‭(新共同訳‬‬)

美しい国?戦争は、きれいでも美しいものでもない

詩集『みだれ髪』へ赤線を引いただけで特高に拷問を受けた13歳の少女」(山田善次郎著『日本現代史のなかの救援活動』学習の友社)より)。

当時13歳だった私に、いったい何をやれるというのか。私はものを考える能力もなく、腹を減らして、腹いっぱい食べた夢を見るだけの女の子だった。

◾️「詩の一行の赤線が …」

昭和18年、製紙工場で働いていた私はたまたま数冊の本を買った。その中に与謝野晶子の「みだれ髪」(歌集)があった。これを寄宿舎の私物検査で特高に知られるところとなった。私はその本の中にあった晶子の詩「君死にたまふことなかれ」の一節に赤線を引いていた。

「君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戦いに
おほみづからはい出ませぬ
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されん」

これが彼らの目には許されないものであったろう。

しかし私は、それが「ホッキン(発禁)」の本だとは知らなかったのである。捕まったときは「ホッキン」とはどんな字を書くのか、それさえも何も知らなかった。つまり、なあにも知らない女の子の見本だった。
「オイ ネエチャン。この本は誰にたのまれたのか。相手の名前をいえばすぐに帰してやる」と特高はいった。

◾️「まだ生きているの声」

「自分のお金で買いました。誰にもたのまれません」と答えた瞬間、私の体は何メートルも先に吹っ飛んでいた。それから先はなぐるのけるのといったもんじゃ ない。生と死のギリギリいっぱいまでやられた。遠くのほうで「死んじゃおらんぞ。まだ生きとる。いまのうちに寄宿舎に引き取らせろ」という声が聞こえた。

一か月後、身体が動けるようになったら今度は憲兵隊へ呼ばれた。同じような責めを受けた。私の体は古ぞうきんのようになった。四つんばいの状態で帰された。

わずかの楽しみで読んだ本が反戦詩だったというだけで特高は私を引きすえて、半殺しにして、おまけに母も見張った。

何がなんだかわからんうちに、私は「チアンイジホウ」とかいうものにやられ、母は「コクゾク」を生んだ「ゲトウ」だといわれてどうしようにもなかった。

とにかくひどかった。霜の降るさむさのなかで特高に半殺しにされて、体が動けるようになったらレンゲ草が咲いていた。

終戦の日、喜びのあまり小川に飛び込んでころげまわったが、その時私の体には何条も何条もサビ色の筋が残っていた。どんなにひどい拷問だったかわかるで しょう。13歳の子どもが「チアンイジホウ」とかでやられ、それから2年半を経た15歳の夏にも、まだ体にサビ色の筋が残っていた。

そしていまでも私の右の小指は、ひょういと離れている。無理にくっつけるとブルブルと指全体が震える。

◾️「なぜ捕まったのか」まだ意味がわからん

わたしに初めて生理があったのは20歳の12月だった。こんなに発育が遅かったのは食糧難とあの特高の拷問のせいだろうと今でも思っている。

「チアンイジホウ」の言葉も文字も知らぬ私は、あろうことか「茶わんいじほうて何のこと」と泣いて寮長に聞いた。その言葉が幼くて哀れだと寮長も泣いた。

天皇が一人えらくて、あとの国民はなんで民草という草にされるんやろう」と後日、寮長に聞いたら「何もいうな、人前でもいうな。黙っといてくれ。おれはお前を守ってやる術がない」といわれた。

あれから37年たって私はいま50歳、しかし、この年で考えても「なぜ捕まったのか」まだ意味がわからん。

2年前に死んだ私の母は「お前のおかげでひでえめにあった」と最後にいって死んだ。

〜以上〜

 

放射能汚染、武器輸出、海外派兵、戦争のできる国へ、、、この国は、確実に汚い国になっている。主は、悪魔に魂を売った為政者たちを裁くだろう。

マタイによる福音書5章9節
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。(新共同訳)

 

癒しの神、イエシュア ハ マッシヤ その2 奇跡44

先日お伝えした、アルバイトスタッフの大学生が、お団子をたくさん持って挨拶に来ました。入院したときから、だれかが心に語りかける経験が続いているそうです。

お酒を飲むと「飲み過ぎないように」と聞こえたり、昔のころを考えると小さい頃の映像がはっきり蘇るそうです。まだ、手の動きや片目の視力回復まではいかないと言うのですが、表情も明るくなって、自然な笑顔になり、歩き方もとても速くなって、それを見た職員も「前より変わった。良くなってる」と話します。退院し、卒業式にも出れて、4月1日からの正規就職もきちんと働きに行けると言っていました。

「子供のころに出血した左脳が回復してきたので、映像は、子供のころの記憶が蘇ってきているんだよ。これからどんどん良くなるよ」。「そうかなぁ。私は、宗教みたいなのは嫌いなんだけど」。「宗教じゃないよ。事実だよ。僕は、医師が治らないと言った酷い喘息が瞬間で治って、もう咳が出ないんだ。医者が驚いているんだよ」。「ありがとうございました。本当に出会えてよかったです。今日も話せて良かった」。

「また、いつでも遊びに来なさい」と言うと、「はい」と笑顔で帰って行きました。

スタスタと歩く姿は、健常者よりも速いくらいで、他の職員も「すごい」と言って窓から見送りました。

人間を創造された神様は、確かにいます。目には見えなくても、あらゆる生命の根源がこの方であるからです。不思議に働かれる神様に、心から感謝します。

詩編147編 
2主はエルサレムを再建し/イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。

3打ち砕かれた心の人々を癒し/その傷を包んでくださる。

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10主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく/人の足の速さを望まれるのでもない。

11主が望まれるのは主を畏れる人/主の慈しみを待ち望む人。

12エルサレムよ、主をほめたたえよ/シオンよ、あなたの神を賛美せよ。 (新共同訳)

 

〜一番大切なことは、主を畏れ、主の慈しみを待ち望み、主をほめたたえ、神を賛美する心です。創造主の存在を確認することがまず最初のステップ。こんな簡単な事実を、多くの人が理解していないことや、天の父を認めず偶像を拝んいることに、現代日本の病理があるのです。

http://adonaiquovadis.hatenablog.com/entry/2019/03/23/100029

 

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